PTSD Motherfucker!!!2016.06.15
1カ月、エチオピア北部を旅行していた。(このこともまたコラムで書きたいと思います。)
中でも旅の最後に訪れたハラールというイスラム色の強い町は断トツに美しく、「今俺は違う世界にいるのだ」という感覚に完全に浸らせてくれた。
そんな状態で日本へ戻り、速攻で北九州の環境教育に関する研修に5日間参加してきた。
心身に異常を感じたのはその最終日からだった。
しかし、思えばそれ以前に頭の中はOD状態だったのかもしれない。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、様々な理由で精神的衝撃を受け、それによる苦痛や生活機能の障害をもたらすストレス障害のことだ。
俺の場合、その様々な理由というのが贅沢なことにも「移動の連続」というもので、解決が簡単だったのがラッキーだった。しかし、PTSDはやっかいで、不眠や過覚醒状態、体験のフラッシュバックと、普段の生活にも影響を及ぼすヘビーな症状がつきまとう。
加えて俺は飲みすぎだ。心拍数、血圧が明らかに高い。
自宅に戻り数日は不眠と異常に放出される脳味噌のアドレナリンと格闘しなければいけなかった。
とにかく落ち着こう。
音楽を止め、本を読むのを止め、明るい蛍光灯を消し、人とのコミュニケーションを絶とうと努力する。
しかし、脳味噌は逆の指令を出していて、ふとするとウクレレを手にとり、フェイスブックに旅の写真を投稿し、来週の予定を友達と綿密に連絡し合ってしまっていた。
気持ちと体がちぐはぐで、どこまでも続くジェットコースターに乗っているような気分だ。
おぉ、こりゃすげぇぇぇぇ。
・・・思い返すと、2月からまともに休んだ記憶がない。
仕事はしていなので休むというのも変だが、常に何かに興奮したままだった。
大阪、京都、長野、東京、ケニア、エチオピア、北九州、東京、4カ月間、目まぐるしく目の前の世界は変わっていき、気が付くと現実よりも頭の中の世界の方がカオスティックだった。
今、やっとホッとした気持ちで部屋のパソコンに向かえている。
PTSDは自覚するのが中々難しくもある。
しかし、俺にはハラールで天使が現われていたのだ。
「私、最近までPTSDだったのよね。私はジュエリーのデザインを仕事にしているんだけど、数年前から途上国の貧しい人たちに制作はお願いするようになってね。エチオピアもそうだし、カンボジア、ラオスとか、他にもいくつかあるわ。それにね、私の親が航空会社で働いていたから、週末はいつもどこかへ飛んで行って遊びに行っていたの。だから、昔から移動には慣れていたの。でも数年前にもう頭がいっぱいになってしまってね。でも、今回久しぶりにハラールにこうして旅に来れて、大丈夫そうね。とても幸せだわ。」
天使は40歳くらいのアメリカ人とは思えないおしゃれな美しいデザイナーだった。
一山越えた表情と静けさを持っている人だった。
初対面の自己紹介でここまで心の内を明かしてくれたのは、彼女がアメリカ人だというのが理由ではないと思っている。
共感というのは時に鋭すぎて怖くなる時がある。
ぜひ彼女に会ってまたいろいろな話をしたいが、こういう人間とは本当の一期一会というのがお決まりだ。同じ天使は2度現れることはない。
俺は彼女のおかげでPTSDを知り、自分の状態を把握できるようになった。
また新しい自分との付き合い方を勉強できたな、うん。
このいいタイミングで、ここ数年の目まぐるしい移動の生活ともしばらくお別れとなりそうだ。
今度はどんな新しい自分と遭遇するのだろう。
次はジェットコースターじゃなく、のんびりと自分のペースで漕げる自転車をさがして行こうと思う。
よしっ!いざっ!新天地へっ!(あ、アドレナリンでてないっすw)