細野晴臣 「アンビエント・ドライヴァー」2016.08.9
毎日暑い。
ここ数年、日本の夏は山小屋で働いていたが、今年は山の裾野、長野の駒ヶ根で暮らしている。東京に比べればましな気温だが、それでも昼間は何もする気が起きなくなってしまう。
久しぶりに慌ただしい暮らしを強いられていることもあり、自分の時間は静かに本でも読んでいるのが至福の夏だ。
来週俺は30歳になる。
人間は変わっていくものだとつくづく思う。
駒ヶ根に来る前、2冊の本を友人が持たせてくれた。
一冊は前から読みたかったYMOのメンバーである細野晴臣さんのコラム集「アンビエント・ドライヴァー」だった。
中学時代の夏休み、近所の図書館に細野晴臣名義のCDがほぼ全てそろっていたのを見つけ、毎日律儀に3枚ずつ彼のCDを借りに行ったのを思い出す。その後もTVCMでたまに見かけたり、動画やラヂオで細野さんの活動はちょこちょこ見知っていた。
作品からも話し方からもとにかく物腰の柔らかい人で、喜怒哀楽の怒だけどこかに忘れてきてしまったような人だという印象をいつも受けていた。
本を読んだ後もその印象は全く変わらず、文中には「僕も怒ることがある」と書いてあるのだが、その怒りは全く周囲に伝わっていないようでおかしくなってしまった。
本の中身は60程のコラムをまとめたもので、サクサクと読み進んでいける手軽なものだが、話の内容はいたってDEEPで彼の好奇心あふれる生活を垣間見ることが出来る。
音楽の話は勿論のこと、自然信仰やネイティブアメリカン、未知との遭遇、旅、聖域、祈りといったテーマが自然に登場してくることは少し意外であり、俺にもふんだんに共感できる話題が多々あったので驚いた。
個々のエピソードについての感想は紹介できないが、見えないものと一緒に暮らしている彼の生活を一度知ると、逆説的に自分が中学から聞いていた彼の音が何故魅力的に聞こえたのかなんとなく分かるような気がする。
音楽雑誌のインタビューとは違い、本人がゆっくりと言いたいことを考えてまとめてあるコラムはその人のことがよっぽどよく分かる。作品について知りたければ、その製作期間の生活や彼の人生の流れの中でその作品をとらえるほうがよっぽどメッセージを描写できると私は思う。
なので、彼の本を読んで、再び彼の作品たちを理解することができてとても幸せな気持ちになっている。
中学生のたいくつな夏休みに聞いていた音たちが、今年の夏、再びリバイバルして俺の耳に戻って来た。
なにか、また大きな輪に取り入れられた感覚になっている。
暑い夏も、まんざらでもない。