2019年最後の日の西成2020.02.13
数日に一度は近所にある西成地区を見に行く。
特に用事はないが、特になくても何かしら目を引くものが難波や梅田よりも多いからただ行く。
2019年の最後の日のお昼過ぎ、曇り空に小雨も混じる中、自転車で何かを見に行った。
新今宮駅前。
西成の象徴でもあった仕事を斡旋する大きなビルの下に、社民党や共産党の文言のような看板を掲げて寝床を確保する人達がいる。切り捨てや増税に追われた最前線の人たちがそこに住み込んでいる。
そのビルの裏手には明らかにシャブの残り香が漂う昼間でも暗く陰気な佇まいのブルーシートの小屋がスクワッドするかの如く30メートルほど連なっている。ここの通りだけは見たいけど見たくないので遠めから様子だけをいつも伺っている。
西成の中心部、釜ヶ崎では年末のフェスが開かれていた。
寒空のもとドラム缶で火が起こされ、近隣の住民たちが音楽を聞きに集まってきていた。
お目当てのアーティストがいるのか、ヒッピーテイストな若い人や家族連れもちょこちょこ目に付いたが、ほとんどの客はここの近所のおっさん達だった。
自分が今まで参加してきたイベントのうちで、史上最高に貧しいオーディエンスだ。服装の見た目それ以外にも、体に障害を負った人や、精神的にハンディキャプのある人がステージ前で華麗に踊っている。もしくは、段ボールを引いて寝そべっている、もしくは、出演者にワンカップを渡している、あるいは、あるいは・・・。中途半端でおとぎ話の多様性を歌うヒッピーの祭りよりも生きているリアリティーを感じることのできるイベントだ。いや、集会だ。そんな中、私は肌身離さずピカピカ銀色に光る自分の自転車を脇に抱き、誰よりも軽くて暖かいダウンとブーツを履いてステージを見学している。
こういう時、貧しさというのは今の時代一つの美徳だと感じる。
ご覧の写真の通り、メッセージは政治色一色だ。
途中のMCも、大企業による新今宮駅前の大規模開発を阻止しようという内容だった。
この地区の歴史のことはよく知らないが、それはきっと反逆の歴史だったのだろう。
寒空の下、炊き出しがあれば私もそれを口にしてみたいという気持ちになった。
各々の人生の事情の結果、多くの人がここに流れ落ちるようにたどり着き、暮らしをしている。
そんな西成は、今では私がスマホを出してシャッターをきれるくらい安全になり、外国人が泊まる安宿もどんどん増えてきている。
どんどん「きれい」になっていくだろうド野外。
私は人生の先輩たちが幸せに酔っぱらって道路に横たわる姿を眺めつつ、2019年の自分を戒め、難波の繁華街へとゆっくりと自転車を漕いでいった。