大阪のクラブ Daphnia(ダフニア)2020.03.17
クラブと一言でいってもいろいろある。
何百人も入って集客のできるビッグネームが毎週末やってくる商業的な大箱。繁華街のど真ん中で音楽がどうとか関係なく出会いだけが目的のナンパ箱。ジャンキー様ご用足しの一般の人には全く見向きもされない小箱、等々、いろんなクラブにそれぞれの役割がある。
大阪にいた頃よく足を運んだダフニアは、音楽がカルチャーとして存在する場所で、いい音に集まるいい奴らの集合する箱、という具合になっていた。
なかなかいいのである、これが。
華やかな難波から地下鉄で数駅、そこから歩いて10分ちょっとの所にダフニアはある。
ナイスパーティーが多々ひらかれる名村造船所跡地から目と鼻の先だ。
名村造船所でイベントがあるときは野外フェスばりに音が漏れることもあるが、その音がフェードアウトしかかるときにはもうダフニアの音がフェードインして来ている、そんな距離感だ。
辺りは倉庫街で、暗くなる頃にはしんとしている。
そんな中、音ビルと書かれた変哲もない建物の一階にダフニアはしれっとあった。こんなところでズンチャカやっているのかと最初は少し驚いた。
ゆったりしたバーカウンターのラウンジと、そこに繋がって通じるメインフロアのみの一体感ある間取り。装飾の角材が無造作に張られたDJブース、明らかにDIY作りのトイレなんかは洗練され過ぎずに気持ちがいい。音から離れたゆとりのとれるスペースがありつつも、どこにいてもフロアの雰囲気を共有できる感じが居心地の良さとイベントの統一感に繋がっている。
ダフニアのオーナーのコサカ君は以前、心斎橋のクラブStompで店長をしていた。
クラブ勤務の長年の経験が今のダフニアのスタンスに十分に表れているのだろう。
クラブ人口が減っている昨今の中、街の中心から離れ、建物に自分たちで手を加えて、新しい空間をオープンする。
この挑戦的ともいえるスタイルがダフニアの心意気をそのまま物語っている。
コサカ君の中指はポケットの中でおっ立っている。
私が関東圏から大阪の町にやって来て2ヵ月をすごした印象からすると、この町のつくりは地元の寄り合い同士が寄り合わさってできたたような感じがする。エリアごとの習性や祭りの話、治安や所得、部落なんかの質問をすると、けっこうみんな色々と詳しく知っているのだ。日本で2番目に大きい都市としては、ローカルさや人情、地元というベースが色濃く反映している。その分、付き合いや馴れ合いが切っても切れない、いい意味でも悪い意味でも大切な要素になっている。大阪だけに言えることではないが、こうなるとシーンは膠着するのかもしれない。
CompufunkやStomp、Corner stone bar、大阪ではどこへ遊びに行っても知り合いになった顔を毎回目にした。それらのクラブはみんな私の住んでいた難波から徒歩、自転車圏内にある。
でもダフニアは遠い。自転車で行くにはエンヤコラである。もしくは、終電か始発を選ばないといけない。
地理的にあえて中心から離れていることは、そんな「街」の色んな枠から意図的に離れる意味合いを含んでいる。
先日友人が、最近の格安バスはマナーの無い人が沢山乗っていて居心地が悪いから、ちょっとだけ高いバスに乗る、と言っていた。そういった具合に、ダフニアの立地は純粋にいい音でナイスパーティーが欲しい人が集える環境づくりに一役買っている。
そんな隠れ家的クラブで開かれるイベント達は奇抜だった。
30時間ぶっ通しで続く喜喜皆界(キキカイカイ)というイベントではBoredomsのEYEが回していたり、唯一無二の音源を発掘するEmレコードがサポートするパーティーも開催されていた。隔月に開かれる加賀屋夜市というフードイベントなんかもあって、大阪のごきげんなご飯やさんを知るきっかけにもなった。
まだ昨年オープンしたばかりのダフニアだが、既に音好きに愛されるいい音が鳴っていて、耳のいいリスナーが集まる場所になっているようだ。
結局、いろんなことが面白くなるかどうかは、人にかかっている。
そんな人達が集まって、音楽を通した新しいカルチャーやムーブメントが大阪に生まれるのを、コサカ君はここで見守っているのかい?
コサカ君の嫁さんのマロちゃんの前職は看護師で、その通りイベントのホスピタリティーもばっちり、なはずだ。貧乏な私がビールを飲みまくっていると、「お金ないのにお酒沢山飲んでる人を見ると心配になる」とかいって、さっとドリンクチケットをくれたりした。ありがとう。クラブ経営者の嫁としては失格だが、頼もしい存在、なはすだ。(マロちゃんの髪型は爆発パーマなのですぐにわかります。見かけたら声をかけてみてください。)
新しい空間、音、人との出会い。地方都市へ行った時の小箱巡りはいつもわくわくさせられる。
今夜もダフニアでは、今大阪で聞きたい音が鳴り響いていることだろう。
また是非、グッドパーティーを全身に浴びに行きたいものである。