一般的に、セイタカアワダチソウという黄色い花が日本蜜蜂にとって冬眠前の最後の蜜源となる。
今年は暖かかったこともあり、11月の初旬まで両足に花粉をつけて帰ってくる蜂たちを眺めることができた。
寒さにつれて段々と活性は弱まり日中でもほとんど巣から出なくなると、彼らの冬眠が始まることとなる。
前回のnoteで書いた一箱は蜂の数が見るからに少なかった。
これでは冬を越えることは難しそうだ。
終わりが見える群れを見ているのはなかなか心苦しいものがある。しかしそれも運命というものだ。
私の仕事も夏と秋の繁忙期を終えてボケっとする時期に入ってきていた。休みもどこかへ行く、何かをするというよりは空白を漂っているような時間の過ごし方になっていた。つまりぼーっとしていた。生産性はなくとも成果として感じるもののある大切な時間だった。
秋の陽だまりの中、蜂を眺めるのはこういう時間の表向きの口実としてとてもいいものだった。
しかし、そんな呑気に暮らしているのは人間(私)だけだった。
弱っていた箱を眺めていると、蜂同士が取っ組みあい噛みつき合っているではないか。それも一つや二つではなく、巣の入口、地面、そこいら中で戦いが起こっている。
他の群れが襲撃に来たのだと私はすぐに察した。
しかし、どうしろと言うのか。
私はついさっきまでこの群れの死を秋の風情と共に見届けようとしていたのに。どうにかそれを助けようというのか?ん?何故?どうせ死んでしまうだろうに。しかし、私が今まで可愛がっていた群れは他の群れに襲われているのだ。ただそれを見届ければいいの?え?あれ?
という戸惑いが浮かんだが、どうすることもできずに自然の摂理に従うしか術はなかった。
その情景がパレスチナ、イスラエルの現実とダブって映るのは私だけではないはずだ。善と悪や、生きることへの渇望、種、民族といったあらゆるキーワードが目まぐるしく私の頭をよぎった。
もうのんびりと巣箱を観察する気持ちは失せてしまい、薪ストーブで余計に温まった午後の部屋で昼寝した。
翌朝、生き残ったのか入れ替わったのか判別がつかない群れが巣箱を占拠していた。
個体数は相変わらず少なく、超えられない冬が分かっていても生き延びようとする意志を感じて無惨さを覚えた。
その日の午後と、その翌日も新しい小さな群れがその箱に目をつけて戦闘を挑んでいた。
私はその光景に嫌気がさした。
まだ巣の中に少なからず蜂がいることが分かっていながら、巣箱の入口を板で塞いでしまった。
翌朝、分かっていたことだったが、死滅した蜂が箱の底に転がっていた。
私はそれを見ても悲痛な感情を自分の中に感じなかった。
私は残酷だったのだろうか。
主のいなくなった巣箱を解体し、黄金に輝く巣板を採取した。
そこにただの喜びだけがあったのではないことは確かで、どんな言葉も当てはまらない感情を秋だよ、秋とか言って片付けてしまい巣箱が一つになった軒先で相変わらずぼーっとした。
私は自分がまた歳をとったことを感じたのだった。