Culture

2018/05/07
ニール・ヤングの説教

 

弊社の関口から、VICEのニール・ヤングのインタビューが送られてきた。

内容は簡単に言うと、現代のストリーミング商業による弊害とレコード文化への賛辞だった。

「ウィードをキメながらでも、ビールを飲みながらでも、散歩しながらでもいい。深呼吸して、音楽を聴くんだ。違った感覚を体験するはずだよ。魂の悦びがわかるんだ。最高のクオリティーで魂が歓喜する。粗悪な音楽プラットフォームじゃそれは無理だ。」

 

アメリカの善き魂は嘆き、怒りに満ちている!!!

 

 

 

 

コスタリカでは町中にCD、レコード屋というものがない。

メキシコのテピートのような巨大な海賊版CDRの市場もなければ、タイのカオサン通りにあるMP3データ専門の店もない。バス待ちをしている時、隣国のニカラグア人が手売りでDVDと一緒にCDRを売っているのを見かけることがあるくらいだ。

商店や流れる車からはいつも音楽が聞こえているが、それらはみんなだいたいyoutubからただでダウンロードしていて,いつもでかい音で安いスピーカーを響かせているのだった。

 

私がSpotifyで音を聞くようになって半年ほどが過ぎた。

新譜も旧譜も日増しに曲数が増え、ツタヤだったら借りようかどうか悩んでやはり借りない高木完やMellow Yellowを聞いて時代を感じたり、Herbie Hancockのアルバムを片っ端からダウンロードして長距離バスの暇つぶしにしている。

Instagramでレコード屋やDJをフォローして新譜や名盤を知れば、1分でそれはもう私の耳に入ってきて、めでたく時代の最先端の先取りなのだ、おめでとう、私。

 

 

 

 

ということで、日本にいないことを言い訳にニール・ヤングに怒鳴られるスタイル代表として音楽を享受しているわけだが、もちろんこれに満足しているわけではない。

言い出すととめどなくなるが、一言でいうと、問題の根源にあるのは手元に何もないというデジタルの無機質な冷たい空気感なのだと思う。

例えば、ジャケがない。

あるにはあるが、それはスクリーン上の4.5×4.5センチの画像であって、質感もインパクトもあったものではなく、めくることもなければ作り手の情報もない。色褪せもしないし、酔っぱらって曲がって収納することも、入れ間違えることもない。もちろん作品の情報は調べればいくらでもネット上に転がっているが、それは手の中には決して入ることがない。

肉体のない妻を愛しているような気持になる。

沢山の曲は耳には入っているが、意識的に向かって音を聴いているわけではなく、集中力の無い垂れ流しだ。これではテレビと変わらないではないか。

 

ノイズ、針飛び、傷、擦り切れ、検盤、2枚組、2枚使い、スクラッチ、プレスミス、12,45、33、コピーコントロール、特典、ブート、etc,etc  

素晴らしい音たちが理解のないリスナーよって忘れられ、いろんな言葉がなくなっていくんだろう。ラップのリリックとかB-Boy用語みたいなものも、クラシックなものであってもそれらは廃れていくのだろうか。

いったいこの先地球上にはどんな音がなんのために鳴り響くと思いますか。

 

 

早い、安い、旨い、体に悪い、社会に悪い、地球に悪い!

いつでもどこでも誰とでも、全ての音楽をあなたへお届け!!

 

さぁ、お待ちかね! 次の曲はニール・ヤングです!!!

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