冬場の車中泊が過酷だと気が付いたのは静岡から長野に入った時だった。
いつものように道の駅の駐車場の端に車を停めてわざわざ買った冬用の寝袋にくるまるが、なかなか眠りにつくことが出来ない。車内の窓はどんどんと結露して外の様子も伺えなくなった。しんしんと冷える鉄の車体の冷たさが背中に張り付いて離れない。浅い眠りを覚悟しなくてはならない一夜はストレスであり恐怖でもあった。
温泉シーズンといえば秋か冬だろうが、どうやら車中泊とは相性が悪い。
旅のハイライトの一つになるはずだった長野や岐阜、富山の秘湯や野湯は深い山の中にある。
残念ながら屋根の下で冬をやり過ごさなくてはいけないようだ。
そんなことを色んな人に話してしていると、屋根は向こうからやって来た。
長野へ入る前、静岡でFrue という音楽フェスでボランティアのキュレーターをした時、その中の一人が自分の働く宿で住み込みのスタッフを探している話を持ってきてくれたのだ。
一週間後には大都会大阪のど真ん中、道頓堀から徒歩圏内にあるゲストハウスに私はいた。
冬になると家の無い人は公共物を壊して檻の中で寒さをしのぐという話を聞いたことがあるが、その気持ちがなんとなく分かってしまう。
生き物の生存は熱にかかっていて、寒さを目の前にした途端になんとか生きようと自然にもがいてしまうような感じ。
大きな街で暮らすのは初めてだ。
さんざん田舎で暮らしたいとかほざいておきながら、人混みの中にいる自分に安堵感を覚えるのも本音なのだ。人気のない東北や山間の田舎の町の廃れた温泉街は美しいともいえる萎びた風情を見せてくれたが、そこでの寒さの季節を想像するだけで車中泊の夜に背中に味わった冷たさが頭をよぎってしまう。見知らぬ田舎町に男一人で入って行って住むというのが難しいこともよくよく分かったことだった。
都会の中で暖かさを探すのが虚しいだろうことも知っているつもりだ。でも、その張りぼての中にすんなり落ち着くことになった今の私も、きっとそういう生き物なのだ。
「とりあえず寒さをしのぎたい」とかいう家の無い人と全く同じようなことしか考えなかった結果、自然と越冬は大阪になったが、都会に住んでみたいという田舎の少年のような気持ちもないわけではなかった。新しい音楽や大阪のアングラカルチャーの刺激をこれでもかというほどに全身に浴びたかったし、季節労働でこびりついてしまったルーティーンや固定概念に疑問をもった方がいいと思ってもいた。
大阪という場所も魅力的だった。
半年前に来た時はその外国人の多さに驚いた。
道頓堀はタイのカオサン通りのように現地人の日本人よりも外国人の数が圧倒的に多い。
人の歩き方や街角の汚さ、聞こえてくる見知らぬ言葉、ドヤ街周りに増える安宿、中国語の客引き、町のいたる所に世界のそこら中にあるツーリストタウンの一つに成長している大阪の姿が見える。
洗練という名の去勢をされた東京よりも開けっぴろげで色んなモノを許容していく大阪の方が私の好みだ。
やさぐれた行き場のない気持ちを和らげるような社会的弱者の姿がどこでも目に入るのも私の大好きな光景だ。
はっきりしていないが、少し暖かくなるまでここにいてみようかと思う。
人の熱は一体ナニで得られるのだろう。
人間が生きるための熱源は街の暮らしにもはたしてあるのだろうか。
温泉の温もりはしばらく忘れて、コンクリートと溢れる人の中で源泉かけ流しを探してみたい。できれば循環でも加温でも加水でもない、混じり気なく枯れることない自分だけの秘湯を探し当てたいものだ。