Culture

2024/01/09
村を出る

ひょんなキッカケから2年と9ヶ月住んだ村を出ることになった。

そう遠くないうちに出るのだろうなとは思ってはいたが、そのとっかかりは突然と現れ、当noteの三つの記事の削除と共に一夜で現実のものとなった。ことの詳細は書くつもりはない。

住居を一日から数ヶ月単位で転々としてきた私にとってこういう突然の終幕は初めてではない。若くて我慢できなかった工場仕事や、ソリの合わない上司との職場、行く先の途方に暮れたリオデジャネイロなどなど、気分一つで「っぽ」といなくなることが私には出来た。そして今でもそれができる。

 

しかし今回はけっこうな日数を村の居住者として、しかも正社員として過ごしてきた。当noteでも書いてきた古民家の改装や蜂の飼育、月一のDJイベントなどなど、この土地に根付いた事柄が今まで以上にたくさんある。後片付けや地域コミュニティーへの挨拶まわりで頭が重かった。

 

 

 

 

引越しをきっかけに村の人と踏み込んだ話が出来たのはいいことだった。彼らは一緒に過ごした時間を振り返る中で、様々な言葉を使って私のことを描写した。自分のことは自分が思うのと全然違う形で相手には映っていて、本来の私とはそういう者なのかと驚いた。私は能力的にも忍耐力から見ても社会の中で居場所がない人間だと思っていたし、今でもそう思う。しかしいわゆる社会性ではなく、私の人間臭い部分を評価してくれる人がたくさんいた。それは村での暮らしが仕事だけでなく様々なコミュニティーで成り立っていて、人同士の繋がりがあったからだった。それは趣味が合う友達とも血縁の仲とも違う。ただ同じ場所に暮らしている人の繋がりだ。村の移住者はこのことを強烈に感じているだろう。言わずもがな、それは時によく、時によくない。誰しにも居場所が与えられるが、口外が許されないヒエラルキーにより誰しもが本来の自由を享受できていない。それは集団の行方として危うい。その集団と私の生はあまりに近くて生理的に受け入れられなかった。ふとそう思った時には私の心はすでに村から出ていた。

 

 

 

 

一言で村といってもそれぞれの土地で色濃く個性がある。なので、ここで馴染まなかったから他でも馴染まないだろうとは思っていない。大事なことはコミュニティーとの接点の持ち方だ。その土地に馴染むというのは他者と距離を縮めることではない(私の場合)。その距離感を間違えないことだ。私のいつもの悪い癖として、話せば分かるとか、世界平和が必ず訪れる(いつかはきっと本当に)と思ってしまい安易にそう行動してしまう。別に思ってもいいのだが行動をそのようにしても結果には結びつかない。そう感じて改めて自分は集団やシステムに縁遠いと自覚した。何かの根本を変えたいと思っても、組織そのものの性質に問題があって、自分の理想をそこに投影することの虚しさを実感した。その努力をすることに美徳を感じなくなった。諦めではなく学びの結果だ。人としてはドライになったとも言えるが、清々しく新しい視界が拡がったのだった。

 

総じて、初めての田舎暮らしは学びの多い期間となった。

この日々を糧にして、またどこかへ行くことになるのである。

 

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