Culture

2022/03/22
戦争が始まった日の日記

会社のブログですので、個人的思想や、誤解、不和を生むような内容は書きません。

 

ただ、昔を振り返った時に、その日の事がその時の感覚で記録されているということは価値のあることだ。まして今回のような歴史的な日となればなおさらの事。薄れていずれなくなる記憶よりも、その瞬間の記録が大切だ。

阪神大震災、911、福島、先日のトンガの噴火まで、世界的規模のニュースを生きている時間の中で体験してきた。その度に自分というものはなんとちっぽけな存在なのかと思わされ、無力さや自制、教訓を知ってなんとか生きていこうと心に想った。

そして、もうそれを忘れている。

 

 

会社の昼休みにツイッターをつついていると、戦争は始まっていた。

戦闘機が街を爆撃している。映画ではなくリアルタイムで動いている戦車や戦闘機がウクライナへ向けて進行している。

昼飯後に集まった皆でゆるく開戦の話をする。しかし、「この戦争ってなんでやってんの?」みたいなレベルなので状況がまだ把握しきれていない。午後の仕事であるキノコの菌つけの作業になに食わぬ顔で取りかかった。

作業は無菌室で行われる。全身真っ白なツナギの作業着、頭にメッシュの帽子、ゴム手袋を装着した後、互いの体にアルコールスプレーを振りかけ合って消毒済みの狭い部屋へ入っていく。

1時間半程の流れ作業中はべつに喋ってもいいが、今日は口数が少ない。

まだ詳細不明な戦争の内容を今さっき見た衝撃的な動画から各々想像しているのだろう。

会社の人たちは普段別に政治的な人間ではない。しかし今日は入って来たニュースのスケールが大きすぎてなんとも心境を処理しきれない感じになっている。

なんとなく煮え切らないまま、その日は早めに解散(退社)となった。

 

その晩、週のうちに何度も自宅の夕食に招いてくれる上司が今夜も連絡をくれた。

その前に風呂に入って、雑事を済ませる間も動画のイメージが頭にちらつく。滅多に触らないTwitterの水色の小鳥を何度もタップしてはUkraineを検索してしまう。

戦況は悪化するばかりだ。

 

家を出ると寒い。

まだ酔っていない体と頭が寒い寒いと言っている。

段々と寒さは寂しさや侘しさや切なさや痛みに変わっていって、小さな坂を登る頃には自分は震えているのではないだろうかというくらい。寒さなど忘れるほどに脳みその中身が身体を覆い始めて現実なんてどこ吹く風くらいの勢いで地球の裏側への想像を掻き立てた。

寒さは今自分が歩いている道路だけじゃなくて、この星のそこらじゅうにいる人間一人一人の中にある。

寒い、とにかく寒い。凍ってしまいそうだ。

早く上司の家に着かなければ。

 

 

上司の息子、全員男の5歳、3歳、1歳のチビ達にはまだ戦争のことは理解できないようだった。

大きなスクリーンのテレビでは夕飯時のおバカな番組がいつものように映っている。

暖かい部屋に入るとほっと我に帰った。

今日は鳥の唐揚げだ。

子供のためなのか、もう今日を静かに終えたいという気持ちなのか、戦争の話題には一度も誰も触れなかった。今夜はここに招かれて本当に助かった。

唐揚げを突つき始めた頃、上司の親戚のおじさんが選挙の票集めのお願いにやって来た。

それからもう焼酎は注がれ注がれ、結局は昔の選挙でどこのあいつがどぉのこぉのあぁであぁだったからけしからんぞ、テヤンデイ、このぉ、ふざけやがってぃ、てんやわんやナンヤカンヤ・・・・・。

大きな戦争の憂さを晴らすかのように小さな戦争の話が終始したのだった。

 

酒でもなんでもいいからある程度麻痺っていないと真っ直ぐに歩けない帰り道だった。

ただただ深い眠りに没入してしまいたい一心で冷たい布団に包まった。

戦争反対

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