Culture

2021/12/09
散文・再生

2015年からマイペースにnoteを書かせてもらっていた私(弊社関口の旧友、サハラです)。

 

十数年ぶりに正社員というものになったことや私生活の乱れも重なり、投稿の熱意が覚め、久しぶりにこのnoteを書くまでに半年の間が空いた。

 

不特定多数の人目に触れるようなところに自身の内情を吐露するにはあまりにも複雑かつディープな精神状況で、会社のホームページには相応しくない記事しか書ける気がしなかった。(以前の投稿も相応しかったのか、定かではありませんが)

私は体験記しか書けないので自分の状況が良くない時はそういう文章しか書けない。

 

簡潔に言うと、宗教書を読み耽ったり、中途半端な禁欲に失敗した反動により飲酒に走るなどの弊害が生じていた。

SNSも辞め、一人の世界でとてもシリアスな感じになっていた・・・。

チーン。

 

 

しかし、誰にも春が訪れる、明けない夜はない、止まない雨はない、日はまた昇る、などなどの毎日を何とかやり過ごし、久しぶりにnoteを書いてみたい気持ちになった。

ありがとうございます。ホッ。

 

人間の生命力の回復というか再生能力には驚嘆する。そして感謝する。

私はもともと情緒がそんなに安定していないのでいつも大なり小なりの感情の起伏はあるが、バランスを大きく崩すと高い崖から落ちそうな気分になる。

なので、そういう状況から戻って来るとそこはもうヘヴンのようだ。

そうしてこうやって戻ってくると、そこからの視界は以前とは違ったように広がっている。

現実に対する認識や、死生観、人との繋がり、色んなものの角がとれて洗練されたようだ。

肩の力が抜けている。

 

 

アマゾンの原住民はフタイロネコメガエルというカエルの毒を使ってカンボという儀式を行う。

2ℓの水を事前に飲み、皮膚を火傷させて皮をむき、そこに毒を盛る。すると胃から喉にかけて猛烈な圧迫感がこみ上げてきて最初に飲んだ2ℓの水を一気に嘔吐する、というものだ。

その後の気分はというと、パソコンの初期化、たまった洗濯物を晴れた日に一気に洗濯する、滞っていた人間関係を一気に解消する、などなどの様に清々しい。

毒は膿を出すためのものだ。

 

苦しみは本来ない方がいいだろう。

しかし、そんな生などあるはずがない。苦しみの中で意味を見出し、毒を吐き出して新しい世界の実感を味わうのだ。

それが人生の味で学びで喜びだ。

 

noteを書けるまでになったのは言うまでもなく気兼ねない友人達や家族のおかげである。

 

今日は久しぶりによく雨が降っている。

とてもいい。

いい感じだ。

Contact

制作に関するお問い合わせ