中島らもさんも言っているように、酒こそが最高のドラッグであることは間違いがない。
人生が酒によって左右されることを合法的に社会が認めている現代はなんとも不思議だと思う。
昨日、ひさびさに酒を飲んだ。
体のためでも財布のためでもなく、ここ最近は忙しすぎて飲む暇がなかった。
これまで日常的に酒のある生活をおくっていたので、久々にそれを口にするのは少し緊張した。
久しぶりに恋人に再会するような気分だったし、同時に、何故か悪いことをするような気持になっていたのは自分でも不思議だった。
1カ月ぶりに出会ったアルコールは至福の味かと思いきや、ハートランドの軽さは朝に飲むコーヒーほどの感動を私に与えてくれなかった。
がしかし、がっくりすることはない。
酔えるかどうかなのだ。気持ちいいかどうかなのだ。
文字通り、飲み仲間と呼べる友達や先輩方からは酒の飲み方をよく教えてもらった。
それは、「飲んでも飲まれるな」というものでなく、「飲んでイキなさい」というものだった。
上野でも北千住でも代々木公園でもクラブでも野外フェスでも、どこにいても大体一番やらかして目立ってしまう仲間達を見ると、この人たちは本当に美しい人だと思う。後ろ向きで前進しているな、と思う。
もはやこの段階に入ると、酒がつよいとか、酒癖が悪いとかいうことは問題ではなくなり、各々がいかに自分の限界へ行くかが問題だ。
あるときは側溝に顔面をはめ込み、ある時は他人のテントで眠っている。
所持品はなくなり、終電もなくなり、ケガをし、居場所を失いつつも、酒を飲む。
飲酒はもはや楽しむためではない。修行だ。
私の親族にはアルコール中毒のおじさんが何人かいる。
アルコールへの依存は遺伝だと思っているので、自分も気をつけなければいけないと少し真剣に思っている。
開発途上国に酒の文化が外から入ってきた途端にそこの住民がアルコールに浸ってしまうのは、そこの土地の人がピュアだからだ。
本来ならば、人は皆酒でイッていたいはずだと私は思う。
それは恥ずかしいことではなく、あるがままの姿なのかも、とも思う。
「お酒は楽しくほどほどに」
できるならば大したもんだねー。