「今の農家全部が農薬使わない農業をやったら、世界の人口の半分以上は生きられないですね」
・・・マージースーカー(本当ですか)・・・、と私。
石君(セッキー)は初日の夜からパンチのある話を聞かせてくれた。
JICAの野菜栽培隊員としてパナマの国境に程近い人口1万5千人程の山間の町の学校でボランティアをしている彼の畑を手伝いに行った。
私と同期で派遣されたボランティアのセッキーだが「フォークを弾く茨城出身の琉球大卒」くらいしか彼のことは知らなかった。
しかし、私がいざ植物や農業に関心を寄せるようになり、なおかつそれが仕事にも絡んでくるとなると、セッキーの話はいかんせんいちいち面白く目から鱗が何枚も落ちることとなった。
普段ぺらぺら喋らないためか、理系出身のためか、はたまた興味深い彼の血統のせいか、セッキーの話には頷いてしまうところが多い。
「世界中どこでも通用する農業の論文って少ないんです。土地によってそれぞれ個性があるし、正解は不明確です。有機農業ですか?思想的なものですね。」
彼が今耕している畑も有機で無農薬だが、やってみないと分かんないところは実際多いようだ。そこに本人も農業の醍醐味を感じている。
稼ぎを考えなくても良い今与えられている学校の土地は、そのままセッキーの実験場だ。土日もせっせと一人、楽しそうに畑で精を出している。
付き合いたての恋人のように野菜を気にかけるセッキー。
「昨日の午後水あげれなかったので、この苗は枯れちゃいましたねー」
彼は研究者肌だ。
日本語とスペイン語が重なると意味プーになってフリーズしてしまうところとか、色んなことを几帳面に気を配りきれず気疲れするタイプだと思う。御一見様には彼の内情はよくわからないかもしれないが、彼はレアキャラなのだ。
そんな彼とも付き合えると思ったのは、共感があったからで、あぁ、人間って本当単純、あぁ。
「畑の煙草はうまいですよね」(お互い今は吸わなくなったけど)
「農薬を撒く作業を含めた一日と、まかなかった一日の後のビールの旨さって違います」
「研究室にずっといるより、畑で働いた方がよっぽどいいですね。そういう人のほうが憧れます」
「東北の震災の事実を知ってすぐに辞めてっちゃたお国の研究員とかって結構いるんですよ」
理系とか文系とか年齢とか趣味とか感性とか、そういううっさいの全部やめてただ前だけ向こうと思う今日も平和なコスタリカである。
毎晩ぐでんぐでんになり合える酒の飲み方も有難いもの。
これも与えられた才能だと思って受け入れるに然りか、否か、雨よ、フレフレ。
今まで感覚が先行する友人が多かった私の人生の中で、農業を学問として勉強した友達は2人だけだ。こういう科学的というか、なんというか、冷静というか、自然への向き合い方は私にとっては新鮮で、新しい知的好奇心がくすぐられた気がする。手伝いに来てよかったな。
頭でっかちでなく、頭から突っ込んでいくようなセッキーの仕事は見ていてすがすがしい。
専門職の熱意を垣間見たきがする。
好きなこと、こうでなくっちゃね。