The companyのコラムを更新させていただくようになり、2年が経ちました。
日々のあぁでもない、こぉでもないを人様の前に書かせていただける喜びを感じています。
お付き合いいただき、本当にありがとうございます。
コスタリカでの暮らしも4ヵ月が過ぎ、ようやく安定期に入ったのではないかと自覚するようになった。
住めば都とはその通りで、朝五時から塀越しに鳴き出す鶏や、夜中までなり散らす近所のスピーカーにも抵抗しなくなり、仕事もある程度現実を把握するようになって力の抜き具合をずる賢く覚えるようになった。
その土地を好きになれなくとも、何事にもゆっくりと順応していく自分を見ると、何が良くて何がいけないのか判断ができなくなるような錯覚に陥る。
ぶれない自分が果たして正しいのか。という極めて日本人らしい疑問は、新しい土地の新しい常識に混じり合って混沌とし始めるので、「脱力する」という方向へ自然と今、私は向かっているようだ。
とかなんとか言っていると、先月、私が放りっぱなしだったDisc Reviewを関口が掘り返しましたので、私も1枚。
リリースから随分時間が経ってしまったが、坂本慎太郎の新譜が時差のごとくコスタリカへ届いて、相変わらず感動している。
レビューは書き尽くされ、海外メディアでもわんさか取り上げられている「できれば愛を」
なぜこんなにも坂本慎太郎が今愛されるのか。なぜ必要とされるのか。
ゆるい、サウンドも歌詞も極めて心地よくゆるい。
「世界も自分もマヌケだね、世界なんて自分と関係ないし、でもそんな中でそんな奴らと今も生きている君。
スマップも大麻もエグザイルも、わけわかんないけど、それでもただそこにあって、ただ生きている今の君。」
社会の無意味さと混沌を唄う曲が耳に残る。反面、それを強く影にするかのごとく、「個」に対するポジティブなメッセージも同様に唄われている。
「世界や他人がどうでもいいのさ、マヌケでバカでださい世界でもいいのさ。
いいのさ、だめでださい君でも。
俺がいるんじゃなくて、君とだれかがいるのさ。
存在してるだけでいいのさ。
ただ生きてるだけでいいのさ。」
圧倒的な肯定のメタファーの連続がダンスのテンポにのせられて、ディスコで踊っている。
世界中に溢れる?マークをひっくるめて聞き手に自覚させつつも、とリあえず全部OKにしてしまう絶妙な抜けのリリックとサウンドに腰抜けになる。
坂本慎太郎は愛に満ちた生活に満ち足りながらも、壊したい多くのものと葛藤しているのだろう。
それは、他者や世界との距離を遠く感じている人間だからこそ歌うことのできる孤独であり、言い換えれば愛なのかもしれない。
メタファーになり切らない、「できれば愛を」が溢れだしている名作である。