Culture

2018/03/26
酒にぼやく・2

今日が休みでよかった。
朝の10時に目覚めると、左顎から喉にかけて生傷と違和感がある。
眉毛の眉間際にピンポン玉くらいのこぶが餅のように張り付いている。
昨夜はECDのごとく酒を飲んだ。ウサだ。

コスタリカは月に二度の給料日があるのが一般的で、給料日明けの昨日はやけに酒場に人がいて、すると友達とそのまた友達がいて、カラオケでsukiyakiを歌ってしまって、カリブ海側の街からやって来たという異国情緒あふれる褐色の美女に見とれ、誰かがいい加減帰ろうと言い出すまで急くように酒を体内に流し込んで、そして、帰りにチャリから落ちて顔面をコンクリートに打ち付けたのだ、たしか。
あんまりはっきり覚えていないが、頭を打ったショックで今朝はいつもより少しまともな目覚めな気がする。
たまにこうやって誰かが殴ってくれれば多少は正気で生きれるのになぁと本気で思う。

こんな朝は何故か知らないふりでいつも晴れ渡っていて、自分だけが地球の自転に乗れていないような気持ちになる。
しょうがないのでとび抜けてさわやかな音をかけ、お茶漬けとバナナを食べて紅茶を淹れる。
おじゃんになってしまった今日の予定を全て忘れることにして、ダブっている頭でいつもと違う方角からぼーっとする。
こういう状況は悲観していてはいけない。利用しない手はないのだ。
酒デリック。

 

 

 

 

もういい歳こいていつまでもこんなことをしている場合ではないのだが、これは性分なので、変えられない個性であり呪われた習慣なのだから、付き合っていく他にしょうがない。

年齢のせいなのか経験値のせいなのか分からないが、アルコールに対する体のリアクションや寝入ってしまうまでにかかる時間がだんだんと変わってきて、愛すべき敵である酒との距離感を考えなおさなければいけないのだろうと思わされる。

出来ることならば最終ラウンドKO勝ちが一番美しいがそれは不可能で、無敵の相手に対して背を向けて縁を切るしか成すすべがないかと思うと、愛するものに対する姿勢としてそれはないでしょうと苦笑いが浮かんでくる。

 

さすがに酒場や路上で暴れたり喧嘩さえしなくなったが、いまだに酩酊するまで飲んでしまうのは私のせいでなく酒のせいで、11年間蓄積されたアルコールによる心身へのボディーブローが人生のとある瞬間と重なって時間をダブらせるまでにいつも私を煽る。

さぁ、私を飲みなさい、と。

最強の薬と手を切れば、またそれはそれで新しい世界なのかもしれない。

でも、それはそれで儚いものだと、もう一人の11歳の自分がいつも頭の中で囁いている。

Contact

制作に関するお問い合わせ