Culture

2015/11/10
鮭バイの話

秋になると毎年通っていた鮭の加工場のいつもの人から仕事の誘いの電話がかかってくる。

去年の今頃は北海道の東、標津町にある工場で働いていた。

 

 

標津近辺には鮭が遡上してくる川が多くあり、秋だけ稼働する加工場が4つほどある。

鮭と同じく、その時期だけ働きに来るのもたくさんいて、私もその一人だった。

 

通称「鮭バイ」は昔、バイクで旅するライダーやカニ族が旅の資金を稼ぐための季節労働として有名だった。

今ではライダーもカニぞくもめっきり減り、海外を放浪する旅人が多く集うようになった。

ジャンルでいえばミュージシャンや絵描き、スケーター、ラッパー、写真家なんかも多く、よく言えばアーティスト、悪く言えば根無し草がたくさん集まってくる。

私が働いていた工場は規模が大きく、最盛期にはバイトだけで60人ほどになるときもあった。

サブカル雑誌やNHKの番組で取り上げられたこともあるようで、普通のサラリーマンを辞めたタイミングで来る人や10代の学生、訳ありのおじいさんなんかもいたりして、いろんなところで3食、宿付き、おもろい職場の話を聞いてやってくる人がいるようだ。 鮭バイは人種のカオスティック具合でいえば西表島の製糖工場と並んで日本トップクラスだと勝手に思っている。

 

 

仕事の最盛期は9月末から10月末で、その間、海が時化なければ基本的に休みはない。

日曜も大体半日は仕事がある。

択捉島を臨む海の目の前にある工場での仕事は、寒さと体力勝負の過酷な肉体労働だ。

そして本当に恐ろしいのは毎日何時に仕事が終わるか夕方までわからないこと。

終業時間を皆で予測しては毎晩のようにがっかりしたのを思い出す。

朝の3時半まで仕事をして翌日8時始業、なんていうこともあった。

 

 

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そんな鮭バイにかれこれ4年もよく通ったものだ。

辛い仕事の反面、そこでしか会えない人との出会いは刺激的、本当に刺激的だった。

朝の4時半にテキーラのボトルを口に突っ込んでモーニングコールしてくれる人や、魚やイクラをくすねてはみんなにふるまってくれるやつ。離婚届が工場に届くやつも。

寝食を共に2カ月暮らせば、最初は引いてしまう程のユニークな各々のキャラクターもだんだんと好きになってくる。

みんながどこかの土地の何かを知っていたし、生きるためのアイディアや人生をどう楽しむか考えている奴らばかりだった。

 

 

工場の周りには秋の緑が咲き誇り、少し足を延ばせば野付半島や知床、秘境の温泉が点在している。

最高のロケーションは季節労働の花形だ。

毎年、「もう来年は来ない」と思うのだけれど、秋になるとついつい鮭バイのことを考えてしまう。

未練はないが、今年も新しい刺激があったんだろうな、職人さんの漬けたイクラとか珍味うまいんだろな、温泉いいな、なんてことが脳裏をよぎる。

 

 

またおっさんになった時にでも、刺激を求めにいってみようかな。

鮭は4年絶つと自分の生まれた川へ戻って来るらしい。

うぅん、なるほど。

 

 

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