1隻の漁船に8人程が乗り込む。
まだほんのり暗いうちに出港し、移動している間に段々と朝を感じるようになってくる。
ワカメを投げ込む網の中に座り込んで風と波しぶきを凌ぐ。
はじまるーはじまる~うおぉ~と念仏のようなトランスが頭の中で流れ、無理矢理に自分を奮い立たせる。
ブイが規則的に並ぶ養殖場まで来ると船をロープでポイントに手繰り寄せ、海中に沈むワカメの付いた縄を船の両端にいる漁師が棒で引っ掛け機械でグイイイイイと巻き上げる。一回で上がって来る縄には18ほどのワカメの株が整列していて、自分の眼の高さほどにつり上がったそれをギザギザ歯の鎌で削ぎ切っていく。縄が海面を上がって来る辺りで腰をかがめ、ワカメがきれいに垂れ下がるように手でかき分けておく。たまにクラゲがいて、刺されないように用心しなくてはいけない。
ワカメ一本の長さは1メートル以上もあるだろうか。日増しに成長して、シーズン後半は船に載り切らないほどに大きくなっている。一時期は海の栄養が貧しく肥えを与えたこともあったが、最近はその必要もないらしい。
生々しいワカメは普段目にする緑色ではなく透明がかった濃い茶色をしていて、なんの海藻なのか一見ちょっとわからない。
一人で2か3株を切り、まとめて一度に背中側のネットにドサッと投げ込む。3株を一度に投げる時は掛け声が出てしまう程に重たくなる。真後ろに投げるときはバックドロップするような態勢になるので腰をひねったり、あばらをヤリそうでヒヤヒヤする。しかしそんなことにお構いなく次々にロープは上がって下がってを繰り返す。そのタイミングは人力でコントロールされているが、ほぼ流れ作業に近い。ワカメ本体を切った後にロープ付近に残った株の部分を再度切ってさらに小さくする。この一連の流れが縄48本分繰り返される。このセットを1段と呼んで、一日3段を5時間ほどかけて収穫する。
それが終わると丘の工場へ上がり、飯を掻き込んで今日収穫したワカメを蒸して塩にまぶす。
一日の終わりが近い。
漁に出るのは人生で初めての経験だが、他の人の様子をみていても海の上では高揚しているのがわかる。明らかにアガッている。バッドでもグッドでもない、シャキリとしている感じなのだ。
海の仕事はきついし危ない。本気にならざるを得なくなると、その時の気分などはどこかへ飛んで行ってしまい、集中力がぐんと高まる。
そうか、だから漁師というのはあのノリなのか。やっと分かった。
それはある意味ハイな感覚であるのは間違いなく、時間がグンと縮む。
しかし、昼の12時半に仕事の終わりを迎えるころにはぐたっと芯の無いワカメのような気分になってしまっている。つまり、とても疲れている。
出港する時とは逆に、漁を終えて港に帰る時の安堵感がこの仕事で一番好きな時間だった。
何故か子宮の暖かさを想うような安心感がある。
恥ずかしながら言うが、雨の時や波の高い海にいる時は女の人肌がふと頭に浮かんでしまう。母なる海でノスタルジーに浸ると雄はこうなるのか。戦場で兵士が母親や嫁のことを思い出したり、子供がいればその顔が浮かぶという自然の摂理をぉぉぉ・ああ、あああ~。
これから先、演歌を馬鹿にするようなことは二度とないだろう。