Culture

2021/03/24
友達を待つ

皆さんはどれ位の時間、人を待つことが出来ますか?

私は今、いつ来るかも分からない友人をホテルで待ちながらこのノートを書いている。

怒り心頭で。

 

 

 

 

青森に住んでいる友人から数年ぶりに連絡があった。

私からは何度かメールや電話をよこしていたが、その都度彼からの反応は全くなかった。 家族もでき、忙しい時期なのかもしれないと思って仕方ないと思っていた。

しかし春というのはほっこりなもので、彼から突然連絡がきた。

それから数日後に上野で会うことになり、きっと飲み過ぎるのでホテルも事前にとっておこうとトントンと話は進んだ。

 

しかし、彼は来なかった。

連絡は途切れ途切れでよこすものの、何故か同じ駅から動いていないのだ。 

「何故?で、いつ来るわけ?」

と訪ねるのが一般的だろう。

しかし私は聞かなかった。

彼は昔からちょっと変だからだ。

今何を言われても彼の言葉の説得力はゼロで、自分の苛立ちに油を注ぐことは間違いない。イライライライラ。

私は一人で昼間のホテルにチェックインしふて寝をした。

もう寝ることも出来ずテレビをつけるも、教育テレビと女子アナの肌をボーッと見るしか画面に意味はなかった。

他の町をふらついてもよかったが、そうすると連絡も迂闊にとれない変な友人と落ち合える可能性が下がってしまう。

もちろん何度も帰ろうかとも思った。しかしここで帰ると彼とはもうけっこう一生会わないかもしれないレベルだった。

顔を見てホテル代を回収し一杯奢らせて帰ろうと思いとどまった。

 

私はなんというお人好しだ。

こういう友達と会う意味とかはどこにあるんだろうか。

ため息をつく。

 

 

 

 

Twitterとかを見ていると、そんな奴のことは無視して自分のために時間もお金も使って精神衛生を維持すべきことが優先されるのが今の時代の正論なんだろう。

まぁ、そうなのかもしれない。

でも、なんとなく。なんとなく私は待ってしまうことにした。

なんでだろう。

 

いつ入れるか分からないラーメン屋の行列には並ばない。

ただ、友人との再会には時間を割くことができる。

この違いはユニクロかヴィンテージ古着か、みたいな違いに似ている。

現代人はユニクロを着たがるが私はそれに価値を見出さない。

時間を持っていることは今の時代富の象徴であり、アフリカ人が世界で一番豊かな理由であって、私は怒りながらもそういうものになりたいとどこかで思っている。

別に待ち人の彼を特別な恋人のように好いているわけではない。しかし、関係性の中で自分に価値のある人間などというのはほぼ皆無な時代に、目の前に対峙する人間との意味を創り出せるきっかけは自分にしかない。すべての物事を金や時間の天秤にかけることは私の中ではナンセンスなことであって、それは人間の考え方としては貧しいと思った。

幸せなだけの幸福というのもちょっと疑っている。

なので、待っている自分が結局は好きなのだ。こんなドM的な発想で私は自分だけの個性的な人生を築いていこうとしている。

俺も人のことなど言えた達ではない。変なのかもしれない。

でも、変な奴には変な奴なりの理論がある。

だから変な友達を俺は待っているのだ。

 

若干話があべこべだが、どうにかして今の心境をアウトプットしないとイラつていおかしくなりそうだ。

 

窓の外は薄暗くなってきた。

Contact

制作に関するお問い合わせ