先日天に召されたさくらももこさん、ご冥福をお祈りいたします。
恥ずかしながらここに書いてしまいますが、私はMCコジコジという名前でラップをしたことがあります。
当然コジコジの作品を知っていて、今でも漫画を持っていますということで、感慨深いものがあります。
コジコジはまだ私が小学生だったころ、アニメではちょっと微妙な5時半からの放送でした。そのストーリーやアニメーションの不思議さ以外にも終わりの曲が耳に残っていて、それを聞くと楽しいとも悲しいとも言えない何だか変な気分にさせられたことが記憶に残っています。後に、それが電気グルーヴだったことを知りました。オープニングはホフディランでした。
そしてこれも大人になってから気が付くのですが、お話しの中には不良がシンナーを吸っているシーンや少年の淡い同性愛、キノコの話など、少年少女漫画には普段出てこないコマがちょこちょこ登場するのです。
ちびまる子ちゃんではマルコが「ジャマイカへ行きたい」とつぶやくシーンなどもあって、読む人が読むと随所にサブカルを感じてしまいます。
そう、世間では見ちゃいけない、興味をもっちゃいけない、子供にはなんのことだかよく分からないことがちょこちょこ登場するのです。
コジコジがマッドファンタジーと呼ばれた所以ではないでしょうか。
それで、なんでMCネームをコジコジにしたかって?
つまりは、そういうことをラップしていたからです。
ドラエモンやクレヨンしんちゃんのような国民的アニメの中でも私はちびまる子ちゃんが一番好きでした。
そこには「そっちも寝っ転がってテレビ見てて問題ないよ、アンタ」というような、他の番組では流れないゆるい日常の空気が流れていて、親近感とか安心を感じたのかもしれません。
日曜の夕方の居間で眺めるテレビの中、まるこが漫画を読んでだらだらしていたり、ひろしが毎晩ビールを飲んで屁をこいたり、個性的な家族や同級生がいたり・・・。
「世の中いろいろとやってらんねぇよぉ、トホホ」というような誰もが持つネガティブで怠惰な一面を、とてもやわらかくまるこや周りのキャラクターに落とし込んでささやかな日常の笑いに変えて見せる。そんなちびまる子ちゃんの世界はだた綺麗だったりただ可笑しかったりするよりも人間味にあふれていて、みていて楽しいなぁと大人になった今でも思います。
さくらももこさん、お茶の間への幸せなひと時をありがとうございました。
まるこのように、ゆっくりとお休みください。