かのECDも高田渡も鎮座Dopenessも、金がない暮らしを嘆いていた。
私が大阪にいる間の唯一の収入源はタコス屋のバイトで、時給は千円だった。
最初のうちは週に6日、一日3時間から5時間、その日の客の入り具合によって働いていた。
泊まっていたゲストハウスでは午前中2時間の掃除が週に5日ある代わりに、宿代も光熱費もかからなかった。
暮らしの基盤はこんな感じだ。
大阪では春を待つために3ヵ月程の滞在を予定していた。
貯金は少しあるし、都会の遊びは金がかかることも分かっていたので、ここを去るときには財布の中身はプラマイゼロくらいで出発できればと思っていた。
が、しかし、町というのは本当に金のかかる所だ。
大体、朝までやってる飲み屋が悪い。
もう本当に、毎週末ナイスパーティーやってるクラブがあるのが悪い。
一体全体、毎晩イエーイってなってるゲストハウスのラウンジが悪い。
たいがい、近所にある大正という立ち飲みエリアが悪い。
くそが、コンビニもスーパー玉手も24時間開いてやがる。
くそったれ、7個入290円のタコ焼きを今日も買ってしまった。
え?ゲストハウスの仲間が誕生日なの?あれ?ってことは今夜宴会?
毎日440円かかる駐車場代、15日振りに出庫したら6600円。
この街はスパイスカレーが流行りまくりやがって、美味いじゃないか、え?次はどの店行こうか??
あぁ、また政宗、わらじや、さのやといった国宝級にクラシックな飲み屋に勝手に足が・・・。
冬に毎日シャワーだけでは死んでしまう。銭湯に浸からずして大阪の文化を知ったことになるものか、てやんでい・・・。
とかいう全ての欲望は、金がないと満たされない。
物欲は大分なくなったが、食費(酒だろ)や社交費はさんざんだ、さんざん・・・。
バイト先のタコス屋はなんとその日のうちにウキウキ現金払いだ。
銀行の封筒にゆるい字で「オツカレ~」とか「オツオツ~」と書かれた給料袋が手渡されると、その日の仕事の重みがすぐに財布に染み渡って、ついついほっこり。
江戸っ子というのはこういう気分なのか・・・。
「宵越しの金は持たねぇ。ケチケチしてりゃぁ男が廃るってもんよ!デデンデンデン!」
最近始めて見た男はつらいよの影響で、妙に威勢がいい私・・・。
こんな不況下の時代に精神性を優先して経済的破滅に自分を追い込むことが美学であるという考えは間違いでしょうか。あぁ、神さま。
案の定、知り合いのクラブでは「お金ない人が沢山お酒飲んでると心配になる」とかいって気遣われ、ビールや焼きそばを奢ってもらってしまう始末・・・。これでは江戸っ子として本末転倒なのでは?とか思いつつも、やはりありがたくビールを頂くのである。
そうか、寅さんは毎日こんな気分なんだろうな、きっと。
目の前に拡がる都会の華やかさはカラフルで刺激的だ。
ここでは、金という時間の対価を払って得られる形の変わった誰かの対価によって、私は色々な幸せを感じているのだ。
その日暮らしでも構わない。ただ、その対価が正しく使われてさえいれば、そんなに罪悪感はなくて、気持ちは悪くもないし、遠い将来の心配もそんなにない。好きな場所や人や価値あるものに自分の対価が流れれば、その日稼いだ自分の銭もまた形を変えて生きるだろうと思う。
ずーっとこうやっては生きていけないが、毎日が循環の連続で生活の代謝は悪くない。
仕事をすることと、生活すること、そして人生を楽しむ時間を享受することのバランスをリアル社会科見学で学んでいる気がする。
そのバランスはちょっと崩れている気がしないでもないが、我ながら無様でもなんとか都会での暮らしを送れていることに新鮮味も感じている。
さてさて、明日はどんな一日が待っているのかな。