新年あけましておめでとうございます。
正月を終え千葉の実家から山梨に戻ってくると、家がとてつもなく寒い。
朝目覚めると息は白く、布団から抜け出す勇気が湧いてこない。
なんとか着替えて階段を降りていくと、加湿器のタンクの水が氷っている。
台所のコップの水や、川に面した窓ガラスも氷っている。トイレのレバーが動きずらいのも氷っている証拠に違いない。
室内は夜の寒さを閉じ込めているので、窓を開けると外気の方が暖かかった。
ここで初めて朝の希望らしいものを感じて一瞬の生気みたいなものを実感する。
私は一体何故この家に住んでいるのだろうか。
人間が不自由なく活動するためには18度くらいの温度が必要で、それ以下になると色々なことが停滞してしまうらしい。確かに、寒いところで旅をしていた時はいかに熱を逃さないかを中心に考えていてそれ以外の余暇を楽しむ余裕はほとんどなかった。
なので、この家の状況で春を迎えるのを待つことは生活全般の停滞を意味していた。
どうにかしなければ。
正月早々、私は再び古民家DIYをスタートした。
引き戸の冊子に隙間テープを貼ったり、視覚的に気にならない窓には梱包用のプチプチを貼り付けて空気の層を作った。部屋はカーテンで仕切りをして間取り自体を半分にした。
最初は半信半疑だったが、これだけで大分ましになったのは驚きだった。
そして今まで適当だった薪の炊き方や湿度のことを勉強すると、嫌いになっていたこの家もまだまだ見込みがあるなぁーと結構すんなり自信を取り戻すことができた。
よかったよかった。
寒い暮らしの気持ちを支えたものがもう一つある。
服部文祥さんの「お金に頼らず生きたい君へ・廃村「自力」生活日記」という本だ。
私は普段この手の農村自給自足系の本を読むことがなかったが、服部さんのストイックさからは学ぶことがあるかもしれないと思って偶然手にとっていた。
印象的な箇所はいくつもあるが、彼の本音に共感する所があった。要約すると、なんでこんなに面倒くさい暮らしをしているのだろうかと自答することで、人間が生きている意味について全てから学びを得ようとしているというスタンスに共感したのだった。
私は自分でも何故今こういう暮らしをしているのか明言することができない。なんとなく良さそうだから、くらいしかないのだ。なので、寒さや面倒に打ちのめされそうになると心はとても弱い。
しかし、服部さんがそのことを言語化してくれたおかげで私はとても救われた気持ちになった。
それは誰かと価値を共感できたから得た安心ではなく、先にあるものを自分も理解して間違ってはいないと自分に肯定的になれたからだった。
なので新年早々、今年もできる限り自分がやりたいことをやればいいと想ったのであった。
昨今の社会情勢の中でも1ミリでもましな自分になれるようにと日々思います。
今年もThe Companyをよろしくお願い致します。