Culture

2018/12/27
与那国島に暮らす

今月頭から沖縄県、与那国島に半年暮らすことになった。

さとうきびの収穫の仕事をするためだ。

 

 

 

 

この島に来たのは4度目で、最後に来たのは7年前になる。

毎年、友人3人とチームを組み24時間を共に過ごした時間は、遅れてやってきた青春時代と恥もなく言えるほど濃密な時間だった。

 

その当時、長い旅のために貯金をしていた私は金が必要だった。

この島ではキビを刈る労働者が畑の主から畑を請け負うかたちになり、給料は出来高で支払われる。刈れば刈るほど金がもらえるのだ。

我々、通称キビファイターは朝から晩まで働いた。

朝方、キビの根がうっすら見える時間にはもう畑にいて、昼飯は30分も休まない。夕方寮に一番遅く帰って来るのも自分たちの班だった。

朝起きると手や腕は腱鞘炎やバネ指で鈍く、常に感じている空腹感は過酷な労働を脳みそが恐れている証拠だと感じた。

そんな努力や労力にも関わらず、出来の悪い畑で働かされて1日の手取りが3000円という日もあり、自分達は一体なにをしているんだろーと唖然となる日もあった。

 

 

 

 

今回またこの島へ戻ってきた理由は、単に昔の思い出が懐かしくなったからではなく、辛い仕事にMっ気を感じるせいでもない。

もっと前向きで単純な理由だ。

 

「金はそんなになくても、正直に暮らしていれば死ぬこたないよ」

昔一緒にキビを刈っていて、今はこの島に住んでいる友人の満腹君が電話越しにこう言ったのだ。

今のご時世にこんなことを本当のことだと思って生きている人がいるというのは明朗快活というか、人間らしいというのか、なにか自分にとって今一番必要な感覚だと思って、その暮らしの鱗片を垣間見たいと思った。

そして、彼には生まれたばかりの息子がいる。

そんなタイミングも、久しぶりに再会する友人と暮らしを共にするいい機会だと思った。

 

伴侶や家族ができる年齢になってくると、生活や将来の話が自然と会話の中心になるなと久しぶりに帰った東京ではよく感じていた。でも、なにか常にそこにあるはずの歓びとか希望のようなものが会話の中ではいつもぼやけていてはっきり見えなかった。だけなのかもしれないけれど。

それは私には少々重たい空気だった。

 

 

 

 

人口1800人程、自転車で2時間も漕げば1週できる島のコミュニティーの暮らしに、私が今みたいなにかは見えるだろうか。それはどこにどんな形であるのだろうか。

そんな期待をしています。

 

今年は寮ではなく友人宅を借りることができ、仕事も一人でやることになった。

任される畑の質も良くなって、ただ働きはせずにすみそうだ。

青春時代とは一味違った暮らしが始まっている。

 

また島からの便りが書ける程度に、ほどほどに仕事もがんばろうと思います。

 

 

今年最後のブログとなりました。

不定期ながら、お読みいただきありがとうございます。

来年もつらつらと書きたいことを書きますが、お付き合いいただければ幸いです。

皆様ご多忙かと思われますが、年の瀬、正月と、楽しい時間となりますようお祈りしています。

 

来年度もThe Companyをよろしくお願いいたします。

 

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