Culture

2018/02/07
両親とのラテンアメリカ旅行・旅の目当て

 

空港で出迎えた和子さんと友治さんとは15ヵ月振りの再会だったが、長い間会わないことはお互い慣れっこなので特別なことはなかった。

移動の疲れや海外で2人を見るせいもあるが、2人はまた少し小さくなった。

小さいというよりも「縮んだ」様な印象を受けるのは、足取りや表情からも分かる雰囲気の変化からで、以前あったイメージとのギャップが余計に2人の加齢を私に感じさせたのだ。

これから始まる2週間を無理なく過ごすための足し算と引き算を頭の中でしながら宿へとタクシーで向かった。

 

 

 

 

荷物は2人で一つのスーツケースに各々がショルダーとリュックだけの軽装だったが、手土産を一度開いた途端、私が頼んだ塩、石鹼、歯磨き粉、本、メッセンジャーバッグの他にもカレー粉と入浴用タオル、のど飴などの細々したもの。コスタリカで世話になっている家族(25人)と職場の同僚へのお菓子とトートバック、写真立て、手拭い、子供用の消しゴム、日本茶、メキシコで会うであろう友人家族へのTシャツやらなんやらかんやらてんやわんや出て来る出て来る・・・。

土産たちが吐き出されるとスーツケースの中身はもう半分なくなっていた。

「これでいいのよ、どうせまたお土産買って帰るんだから」と、和子さん。

荷物の少なさには安心したが、何をしにはるばるやって来たのかと、ぼーっと考えてしまった。

こちらで何がしたいか事前に聞いても「そうねぇ、蘭とハチドリが見たいかしら。別に何も分からないから、何でもいいのよ」みたいなスタンスだったので、私としてもどこをどう旅すればよいのか悩んでいた。

 

一つ分かっていたことは、私がいるという理由だけで2人は外国へ行こうと決めたということで、荷を解けばその半分は息子が世話になっている人へのご挨拶だったということ。

そう、この旅の付加価値は「息子」だ。

と思ったので、普段はあまり近づかないようにしているJICAの事務所へ顔を出したり、ボランティアの友人と食事へ行ったりすることにした。地元では温泉の予定をキャンセルしてコスタリカのホームステイ先の家族と何もしないでだべっている1日を設け、翌日は同僚夫婦と一緒に牛追いの祭りへ遊びに行って、私が普段世話になっている人たちとの時間をできるだけ割くことにした。

通訳は普段使わない脳みその部分を使ったので心底疲れたが、どこに行っても誰かが一緒に旅をつくってくれたので本当に助かった。

 

 

 

 

前述したが、2人は家が好きな人だ。

実家ではよく教会の集会があって人が集まり、和子さんはその都度十数人分の手料理を用意して客をもてなした。友達もよく遊びに来た。

私が家に帰らないことが多くなると「どんな友達と遊んでるの?」とよく聞かれたが、あまり上手に答えることが出来なかった。段々と味のある友人が増えていったからだ。

それでも青森から友人が2ヵ月居候しに来たり、たまに宴会を実家でやると2人はとても喜んだ。息子のことを知るには、息子だけではもう足りなのだ。

私の世界は実家から離れ、随分とカラフルで多様になった。それは2人からすると全く理解できないかもしれない。中原昌也、石原慎太郎、ラム・ダス、久保俊治の本を日本からお願いする息子の真意が分かるだろうか。

なのでせめてこの旅の間は、離れている時間と空間を埋めるために、私の今の世界を創っている人を通して私の世界がどうなってんのか少しでも覗いてもらえればいいのではないかと思った。

それがこの旅の目当てで、行くべき場所はそこだ。

 

 

 

 

和子さんはコスタリカの女性に大変ウケがよく、知らない間に腕を組んでいたりハグしたりしている。日本人の友達には「こっちではこうするのよ!」とかいって自分からハグしてお別れをしていた。ラテンのリズムにさっそく馴染んでくれて何よりだ。

 

そういえば昔、和子さんに「なんの口笛吹いてるの?」と質問すると、

「え? エミネム」 ・・・と言われた衝撃がふと頭をよぎった。

 

 

私を知る和子さんと友治さん。

そして、和子さんと友治さんを知る私。

 

ルーツを探る旅かもしれない。

 

 

もう少し、続きます。

ご期待ください。

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