最近立て続けにVice magazineやフリーマガジンのHidden Championなどのサブカルチャーメディアで、
戦争写真家の亀山亮さんの記事を目にした。
サブカルのメディアに戦争の写真や記事が特集されているのを目にすることは少ない。
反核デモやマリファナ関連の社会的な記事ならよくある。
しかし、戦争というリアルすぎる話題に言及した途端、
楽しさやユーモア、アート感さえもが一瞬にして薄れてしまう、白けてしまう。
大衆メディアならばその利権のために戦争報道を忌み嫌うのはわかるが、
サブカル系メディアであっても戦争が大きなテーマにならないのは、
シリアスすぎるインパクトを戦争という話題が持っている証拠だろう。
では何故亀山さんは記事になるのか?
一言でいえば、彼のスタンスに共感がもてるからだ。
一貫してフリーランス。 報道では金になりづらい写真という媒体、しかも白黒、フィルム。
誰にも頼まれず、自分の撮りたいものだけを撮る。 彼は自分の写真をメディアの一部ではなく、
作品として撮っているのである。
哲学を詰め込んだ写真は息を飲む空気感で張り裂けそうな瞬間達だ。
インパクトありき、分かり易さありきの画面越しの傍観ではなく、見る側を戦場に引きこんで、
「お前が考えろ」と聞こえてくるような引力を秘めている。
亀山さんはパレスチナで片目を失った後も戦場へ向かっている。
それは誰かのため、何かのためというよりは、彼が戦場に憑りつかれてしまったかのようにも感じられる。
その狂気じみた写真への情熱に、彼の写真家、アーティストとしての本性を垣間見るのである。
今年2月に発売した「戦場」は、写真と文章が半々の構成になっている。
写真の迫力ももちろんながら、
戦争の構造を冷静に分析しながらいつでも権力をこけおろす亀山さんの痛快でクールな文章にも感銘を受けた。
わざわざ他人や自分の死を目の前にして生きる人はなかなかいない。
ぎりぎりのフィールドで彼が写した写真達、襟を正さずして見ることはできない。