季節の変わり目を感じるのと同じように人生の流れの中で新しい節目を感じる瞬間は誰にでもある。
年末年始はそんなことをよくよく感じる時間となった。
弊社の親戚のようなノブさんショウコさん宅の飲み会は2人の筑波の新居で開かれた。
一年の半分は旅に時間を割いていた二人が家を持つということに違和感を覚えずにはいられなかったが、今の2人をみるとすっかりと彼らの日常がそこで始まっているようだった。
薪ストーブや庭の手入れ、道端に咲く花に目をとられるようになったなんてぇ話を聞くとついついこっちもほっこりさせられる。
家はもともと客人を招くための内装になっているのでとても居心地がいい。
目の前には農閑期の田んぼがバーンと広がり、近隣との距離もあるので音楽をかけても以前のように警察がやって来ることはない。
旅でたまたま見つけた居心地のよい安宿のような雰囲気があって無駄に連泊したくなってしまった。
安住の地というと言い過ぎだが、旅人の2人が初めて持った家のHome感は、同じ穴のムジナだと勝手に思っていた私にとって圧倒的だった。
そしてそれを素直に羨ましいと思ったのだった。
翌日、まだ完全に残っているアルコールを感じつつも上野の中華料理屋「大興」に集合したのは夜の7時。
この日は昔からの草加の先輩たち(酒の)と久しぶりの宴会だった。
昨日の筑波に引き続き、弊社関口も順調に参加している。
このメンバーで飲むときはもうけっこう諦めて家を出る。
きっとぐちゃぐちゃになるのだ。きっとまた帽子とか鞄とかなくしてしまうのだ。きっとほとんど記憶も・・・。
そんな諦めだ。
しかし、久しぶりの再会のためか、リニューアルオープンした大興のせいか、いまいちエンジンがかかってこない。
みんな瓶ビールを相手についだり、卓上の皿を店員さんに渡したりしていて嫌に仰々しい。
閉店時間まで普通に飲んで、近くのバーに入ってからはもう記憶がないので後の事はよくわからないのだが・・・。
結婚した者、子供ができた者、再婚しようとする者、そのすべてに関係のない者。宴会に集えなかった者も。
みんな昔のただ酒に飲まれて何も考えずに音楽を楽しんでいただけの者ではなくなった。
それはすごく寂しい必然だと思った。
飲み会が昔のような盛り上がりに欠けたことなどはどうでもよく、みんなの人生が一本一本太くなって様々な方向へ伸びて行くのが見えて寂しくなった。この感情を寂しいとは言わないのかもしれないが、上手い言葉が見つからない。
翌日、関口と私は先輩宅に泊めて頂き、朝から近所の銭湯へ行こうとなったが先輩は昨夜のダメージのため家で別れることになった。
関口もきっといつもとは違った雰囲気の昨夜の飲み会のことを感じていたのだろう。
私達2人は10年以上の付き合いになるが、ほとんどしたことのなかった結婚や家族や保険などなどのいわゆる大人がするような人生についての話を旨くない中華料理屋と銀だこの飲み屋を梯子しながら大真面目に語ったのであった。
総じて、新しいフェーズへの突入を体感した年末、年始となりました。
どのような状況になっても、それが各々にとっての幸福となりますように。
どうぞ今年がよい一年となりますように!
本年もThe Companyをよろしくお願い致します!