以前に北海道の標津町にある鮭の加工場で働いていた時のこと、近所にちょっと有名なハンターのおっさんが住んでいるという話を聞いたことがあった。
それがこの本の著者、久保さんのことだったとは。
「会っておけばよかった」
そんな気持ちを起こさせる一冊だ。
「ナイフを取り出しシカの腹を裂いた。その腹腔に凍えてかじかんだ両手をもぐりこませて温める。シカの最後のぬくもりが、痛いほどの熱さで両手に染み込んでくる。私はそのまましばしの間じっとしていた。最後の温もり、生命の温もりの全部を両手にもらった。」
「山の頂から始まった紅葉の盛りも、瞬く間にテントの周りを通り過ぎ、下へと降りていってしまった。木の葉の少なくなった林を通して沢の音が日ごとにはっきりと聞こえてくる。水場にしているテントの近くの小川のせせらぎが、透明な住み切った音となって私の耳を楽しませてくれる。特に秋の大水のあとなどは苔もすべて洗い流され、自然の中にはこんな透明なものがあるのかと思えるほどの清涼な水となる。水が川底の石と直接に擦れ合う音を聞いていると、石の一つ一つの形や大きさまで思い浮かべることが出来そうな気がしてくる。」
全編を通して小説の根底に美しく流れているのは、自然への深い崇拝にも似た眼差しである。常に山にいる者だけが分かる色や臭いの移り変わりはもちろんだが「何か」に気が付く久保さんの研ぎ澄まされた六感までもが文字越しにビンビン伝わってくる。
そして、物事を真っすぐな眼差しで見つめる美しくも鬼気迫る文章がページをめくる手を休ませない。
自然から享受できるすべてを受け取って生きる久保さんは侍だ。
獲物の命を無駄にしないこと。自分の哲学に背く猟はしないこと。その行動の愚直さに、私もビール片手で本を読んでいることが申し訳なくなりそうになる(だが、ならない)。
1人で、羆を相手にすること、雪山でサバイバル生活をおくるという行為は命のやり取りそのものだ。
常に先を予測し、命の火を絶やさないためにはどうするかを考えなくてはいけない。
それは、本当の孤独、言い換えると自分自身と正面から向き合う行為だと思う。
その中でやっと微かに見えてくる何かが久保さんの気持ちをくすぐるもので、羆猟に憑りつかれる所以なのかもしれない。
そんな感覚をおっそわけしてくれる、ありがたい一冊だ。
日本人の精神性と国土の関係性を紐解くアニミズムの聖典と言えなくもない。
自然の五感を忘れたあなたへ、読むだけで山の中へと連れて行ってくれる一冊です。