Culture

2017/10/18
くじらを見に海へ行く

宇宙人が地球にやって来るのは何故だ。

もし俺が宇宙人で、地球へ人を見に観光へ行くなら。もし。

 

人っていうのはいろんなものを摂取しているなぁ。いろいろな形や色で体をデコレーションするのか。生存以外の目的がたくさんあってこれでは目が回るぞ。星の連鎖の頂点だけど、とび抜けて力をもっている特別な生命体だ。しかも多種族との友好関係には興味がなく、もの凄い増殖力だ。でも賢くはなく、危険な奴らだ。

 

とか、遠くからよーく観察するだろうか・・・

 

 

 

・・・鯨のしぶきが初めて遠くに見えた時、それはとても大きかった。

本当は、水平線を背にすると雨粒の一滴ほどの大きさでしかない。

でもそれは、爆弾が投下された瞬間を見たと同じく、とても大きく見えた。

 

鯨は凪いだ海と同じリズムで、10m離れた船にかまうことなくゆっくりとしている。

5分おきくらいに水面にぬぅっと背びれを見せると、潜水艦のようにまた沈んでいく。

1時間半の間に、ただそれを何度も繰り返す。

そのたびに吐息がもれる。

 

鯨の存在感は、「ただそこにある」。

風に揺らぐ木の葉、座っている老人、神社仏閣、川の流れや岩や山、本を読んでいる人、モンゴル人の話し合い、赤ちゃん・・・とかに通じる静寂がある。

船酔いで若干Badに入っていることもあるのか、珍しくコスタリカ人観光客も皆静かに行儀いい。

 

 

魚なら人からすぐに逃げて行くし、イルカなら一緒に戯れてくれるのかもしれない。サメやシャチには俺は食べ物だ。

鯨は、俺を前に、ただそのままだった。

昨夜の二日酔いが俺にも船酔いの波と共にやってきた。眠気もゆっくりと襲ってきた。

それでも鯨と一緒に、ただそこに居たいと思った。

鯨は何か、特別だった。

感じ入ると、それはホーリーなものだった。

 

 

美しく流れる緑の山脈と水平線を背景に、広い海を生きる大きな鯨。

そこは彼らの家だ。

視覚に入る範囲の中で、一つの物の大きさがある程度の範囲を占めると、世界は変化する。

例えば、小さな水槽にメダカが入っていれば、水槽は彼らの家だと視覚的に理解できる。

それと全く同じで、鯨の大きさと存在感は、広大な海が彼らの家なのだと感じるに十分だった。

 

私は、お邪魔しました、絶対にゴミ捨てません。と、心の中で敬語でつぶやいた。

 

 

宇宙人か、宇宙人・・・。

 

おーい、俺―、俺よーぃ

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