宇宙人が地球にやって来るのは何故だ。
もし俺が宇宙人で、地球へ人を見に観光へ行くなら。もし。
人っていうのはいろんなものを摂取しているなぁ。いろいろな形や色で体をデコレーションするのか。生存以外の目的がたくさんあってこれでは目が回るぞ。星の連鎖の頂点だけど、とび抜けて力をもっている特別な生命体だ。しかも多種族との友好関係には興味がなく、もの凄い増殖力だ。でも賢くはなく、危険な奴らだ。
とか、遠くからよーく観察するだろうか・・・
・・・鯨のしぶきが初めて遠くに見えた時、それはとても大きかった。
本当は、水平線を背にすると雨粒の一滴ほどの大きさでしかない。
でもそれは、爆弾が投下された瞬間を見たと同じく、とても大きく見えた。
鯨は凪いだ海と同じリズムで、10m離れた船にかまうことなくゆっくりとしている。
5分おきくらいに水面にぬぅっと背びれを見せると、潜水艦のようにまた沈んでいく。
1時間半の間に、ただそれを何度も繰り返す。
そのたびに吐息がもれる。
鯨の存在感は、「ただそこにある」。
風に揺らぐ木の葉、座っている老人、神社仏閣、川の流れや岩や山、本を読んでいる人、モンゴル人の話し合い、赤ちゃん・・・とかに通じる静寂がある。
船酔いで若干Badに入っていることもあるのか、珍しくコスタリカ人観光客も皆静かに行儀いい。
魚なら人からすぐに逃げて行くし、イルカなら一緒に戯れてくれるのかもしれない。サメやシャチには俺は食べ物だ。
鯨は、俺を前に、ただそのままだった。
昨夜の二日酔いが俺にも船酔いの波と共にやってきた。眠気もゆっくりと襲ってきた。
それでも鯨と一緒に、ただそこに居たいと思った。
鯨は何か、特別だった。
感じ入ると、それはホーリーなものだった。
美しく流れる緑の山脈と水平線を背景に、広い海を生きる大きな鯨。
そこは彼らの家だ。
視覚に入る範囲の中で、一つの物の大きさがある程度の範囲を占めると、世界は変化する。
例えば、小さな水槽にメダカが入っていれば、水槽は彼らの家だと視覚的に理解できる。
それと全く同じで、鯨の大きさと存在感は、広大な海が彼らの家なのだと感じるに十分だった。
私は、お邪魔しました、絶対にゴミ捨てません。と、心の中で敬語でつぶやいた。
宇宙人か、宇宙人・・・。
おーい、俺―、俺よーぃ