Culture

2019/07/03
人物ファイル「植物と生きる人」・吉野圭哉君

夕方、飲み始める前にちゃんと見に行こうと思っていた場所がある。

石垣島で一番大きい交差点730に面して建っている3階建てのビル、幅は20メートル程もあるだろうか。その壁一面に、場違いな観葉植物がもさもさもさと元気に生い茂っている。

友人、圭哉君の仕事だ。

写真では見ていたが実物を目の前にすると想像以上に規模が大きく、沢山の種類の葉っぱが生えている。足元には苔むした大木の脇を川が流れていて、魚や亀までも憩っているという完成度の高さだった。

 

 

 

 

 

 

そんな壁に面食らった翌日、圭哉君の家に遊びに行った。10年ぶりの再会だ。

私が転々と旅している間もコスタリカやアフリカから植物の種を送ったり、圭野君がデザインしたTシャツを買わせてもらったりと交流が続いていた。

彼のSNSにはかなりの頻度で珍しい植物や生き物がアップされ、相当なスキモノ具合が漂っている。これはもはや趣味の次元ではないぞ。きっとナニかやっているはずだ、と興味深く彼の生態を窺っていた。

10年前、当時22歳だった私には色んなことが分かっていなかった。でも今なら彼と面白い話が出来るかもしれない。

こういう感覚って、なんとなく皆さんも分かりますか?

 

昼過ぎにお宅に到着すると、沖縄の空に向かって元気いっぱいに植物たちが葉を広げていた。

観光客相手に入園料をとってもいい程、珍しい種類が所狭しと並んでいる。

 

 

 

 

 

 

挨拶も早々に植物に見入る私に、「はい!きましたね!」的な感じで一つ一つ説明をしてくれる圭哉君。

 

「これ、共君がコスタリカから送ってくれた種の木だよ。調べたら固い材木みたいでさ、すごい値段で取引きされるらしいんだ。育つのはゆっくりだから、孫の孫くらいへの遺産になるね」

 

こんな感じで、自然を軸に圭哉君の頭の中にあるこの世の中は回っている。

 

「石も分子でしょ?」・・・みたいな会話になる。

 

大自然という人知を超えた普遍の真理を信仰して生きているかのようだ。

 

一番驚かされたことは、そのダイレクトな自然との付き合い方だった。

植物や生き物を探すために道なき山へがつがつ入っていき、行けなくなる所まで行っては帰って来る。もれなくダニや蛭のおまけつきという・・・。

そして、素敵な奥さんもその荒行に一緒に出かけて行くというのだ・・・。

 

もちろん新種も見つける。

ここでは書けないが、絶滅危惧種、さらにすでに絶滅した(ことになっている)植物が圭哉君の手元に実際にあったりする。繁殖方法が解明されていないものも独学で増やしてしまったり、凡人ではもはや図り知れない所まで興味の対象と実践は広がっていた。

 

 

 

 

 

「西表にいた時はよく一人で夜の森に入って行ったよ。二人だと怖くないけど、一人は怖い。そこでものすごいことも体験したよ。あ、これは言わない方がいいかな」

 

・・・多分聞かない方がいいと思う。沖縄という土地柄もあるが、それよりも以前から在ったもっと大きなものの話だ。その声や正体の話をしているのだ。多分。

そういった経験をとても羨ましいと思う反面、自分が一度踏み込んでしまうと帰って来れないような、淵を覗き込んでしまう様な気持ちにもなる。そもそもビビリな私には到底真似できない自然との対峙の方法なのだ。

 

そういう領域の話もしていると、この人自身が自然そのものに近いのかもしれないと感じてくる。彼と喋っているとなんだかだんだんとぞわぞわしてきてしまう。ぞわぞわ。これは怖いとか落ち着かないとかもちろん恋愛のドキドキとかではなくて、細胞の一つ一つが振動しているような感覚になるのだ。こういう状態はとてつもない共感をした時とか、未知の領域に踏み込んだ状態の時に起こるものだが、こういうのって私以外にもみなさん感じることがあるのだろうか?あれ?どうなんですかね?気になっています、あ、すいません・・・。

単に相性なのかも知れないけれど、こういう人はたま~~~に、いる。

 

 

 

 

類は友を呼び、圭哉君は大学教授なんかとも付き合いがある。

自分のやり方で好きなことを追いかけると、その手のすごいと言われているような人よりもすごいことになっていることがあるという好例だ。

極めるとかぶっ飛ぶとかいろんな表現でThe mostを表す方法がある。しかし、今回彼と再会した数時間でMasterの意味とか、本当の意味で愛することとか、真理とかの概念を間近に見せてもらうことができた。それそのものがThe mostを体現しているように私には感じられた。

ぞわぞわしてしまったのは、つまりそういうことなのかもしれない。ぞわぞわ・・・。

 

自分は圭哉君のように何かの領域に没するほどの魔法にかけられたことはない。

でも、そんなことは小さいことでこの世的な事柄にすぎない。

10年前には分かっていなかったことが今は分かっていると今回ぞわぞわして確信することが出来たからだ。そんなことで、勝手に、とても一人勝手に、私は彼との再会を喜ばしく思っている。

 

圭哉君夫妻は石垣島の外れの集落に住んでいるが、これから本格的に山の中に生活を移していこうとしている。

世間から見るとわざわざそんなことしなくてもと思われるその引っ越しも、彼等からすればとても自然な流れのことだ。何かに導かれるように、引っ張られるように生きている2人はとても微笑ましく、やはりとてもぞわぞわさせられる存在だった。

 

またの再会が今からもう待ち遠しくなっている。

 

 

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