Culture

2018/09/21
異国の質屋と、物々交換

日本へ帰る荷仕度をしている。

2年間貯め込んだガラクタ全部を持って帰ることはできない。

日本で買って持ってきたボンゴを売りに、人生初の質屋へ行ってみることにした。

 

 

 

 

一軒目。

「この店はタイコ買ってくれる?」

「だめだ、買い手がいないよ」

 

二軒目。

「次の角にある店に行ってごらん」

 

三軒目。

「どこのメーカー?・・・いくら欲しいの?売るの?それとも質入れ?」

私、「えーっとですね、4000円くらいかな。売りたいんだ」

「身分証明書、あとサインね。はい、4000円どうぞ」

 

・・・と、3分で話はついた。

 

あれ、俺、4000円で売っちゃってよかったのかな。もしかして、もうちょいもらってもよかったのかなもだな、多分この感じだと、そうだよな、まぁ、でも・・・まーいっか。

 

金額の交渉になると私は弱気になってしまうのはとてもいけない癖だ。

でも日本で6000円で買った中古のタイコなんだから、まぁ、いいじゃないか。と、自分に言い聞かせて店を出た。

 

 

 

 

質屋ではなくとも、旅先ではいろんな物のやりとりをした。

エチオピアに行ったときは旅先で使っていた山用のテントを田舎のよろず屋にあるリアルJAHグッズと交換した。店の全ての商品には値段がついていなかった。本当に古いものは作られた時から設定されている値段などなく、交渉だけで人の手に渡っていく

私達よそ者はその土地の古い物を欲しがり、土地の人は新しい物が欲しい。

スマホ、パソコンがまず最初に尋ねられ、その次は時計なんかが欲しがられる。

 

「今度来る時は金や銀の判別できる機械を持ってこい。高値で引き取ってやる。」

商人とはこういうときに貿易のチャンスを感じるのだろうか。

 

 

 

キューバへ行く旅行者はその美しい女性たちを口説くために化粧品とかアクセサリーを持参するという話は嘘ではない。お金はもちろん喜ばれるが、そのお金で買える「物」がキューバにはない。私もライターやペンなんかをよくねだられた。

 

本当の第三世界は未だに物々交換の習慣が残っていて、それに参加するのはとても面白い。

私には相場が分からないし、あちらには私の持っているものの価値をはかる術がないからだ。本当はどちらも「価値」など無いのかもしれない。お互いハテナマークで進められる交渉は、お互いが納得できればそれで決着のつくシンプルなものだ。

 

お金というはっきりしたレートに沿って話を進めることは簡単だが、物々交換の取引は買い物とは一味違った満足感を与えてくれる。

それは、自分が相手に与えるものが直接相手に喜びを与える実感を目にできるからだ。自分が提供したもので喜んでいる相手を目にすると、取引の喜びは2倍になる。

エチオピで交換した私のテントはすぐに子供の秘密基地になっていた。

もしかしたらお金ができる前は、そんな素朴なやりとりや生産の喜びがあったのかなぁ。

 

日本には物が余っていると旅をする度に感じる。

今度は何を持って、どんな人とやり取りを交わすのだろう。

いつかこんな旅の楽しみ方も、いかがでしょうか。

 

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