Notes

2017/01/26
コスタリカのオーガニックコミュニティから学ぶ

勤務先の学校の長期休暇を利用して、昔の知り合いの住む農園を研修と称してかなり強引に手伝いに行くことにした。
農園は海に面した3ヘクタールほどの敷地に、砂浜とリーフと40メートルの丘が入り組む大自然の中にある。

丘の上のキャンプ場にテントを張って、2週間農園の仕事を手伝った。
目の前に広がる太平洋の曲線に地球を丸く感じることができる。
猿が吠え、鳥がさえずるここはまさに誰もが思い描くコスタリカに違いない。

 

大富豪のアメリカ人が所有するその土地には、彼の家族と友人と同居人2人と私しか住んでいない。

静かな暮らしを求めて移住した彼らは、もはやこうは呼ばれないのかもしれないが、スーパーヒッピーだ。
敷地内にはシュタイナー学校があり、畑ではオーガニックの先をいくバイオダイナミック農法で野菜が育てられ、週末は家族で近くのビーチにサーフィンへ行く。

彼らから提供される野菜や鶏もフレッシュなものばかりで、私もすっかりネオヒッピー気分を味わった。

 

 

 

毎日の食事は体の中から少しずつ私を変化させたようだが、私が強くオーガニックということを感じさせられたのはそこに住む人々との暮らしだった。

 

ここの暮らしにかかわる人間には、社会的制度に属している人間がほとんどいなかった。

しかし、ルールが少ない中でも物事はなんとかうまく回るようになっていた。
時間通りにバスは来ないがヒッチは簡単だし、電波がなくても商店で会いたい人に会えたりする。サーフボードは友達が貸してくれるし、海に入れば隣の誰かが乗り方を教えてくれた。

農園近辺のコミュニティ一帯は制度の中の仕組まれた人間関係ではなく、一人一人が個々で考えて生きることで絶妙なバランスをとっているかのようだった。

貧富の差はあれど、助け合うのは当たり前だったし、急に仕事を休んでもひどい文句を言う必要がない。それは、各々が生き物として生きていることを誰もが知っているからだ。人間みな、いろいろあるのだ。
日本で言う「タイミングで」は社交辞令だが、ここではそんな言葉は必要ない。
シンプルな暮らしの中では、目の前の現実で自分ができるだけのことをするだけでよかった。なので、変な心配事や気遣いがいらなかった。
その分、誠実に生きられればそれで充分に満たされると思った。
大げさではなく、人が生きている、誰かと共に生きる、というのはそういうことだ。

 

 

だからオーガニックはダイレクトに今日もキモチイイヨ。

 

 

 

さー2月からまたがんばりまっすか~ よしゃ~

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