アフリカへ行くのは初めてだった。
出発前は、黒い肌、動物、大自然、貧困、音楽、紛争、人類発祥の地、カラフルな色彩、くらいのイメージしか私にはなかった。
アフリカはとてつもなく魅力的だが、同時に自分の価値観が大きく変えられてしまう程のショックを与えられるのではないかと思って相当びびっていたというのが正直な所だ。
2年ぶりの海外旅行ということも重なってか、異様な高揚感を抱いての出発となった。
1カ月でケニアとその北隣のエチオピアへ行くことにした。
ケニアでは姉家族がそちらへ引っ越しをすることになったのでその手伝いで10日ほどナイロビに滞在した。
外国の都市での楽しみといえばいつも大体一緒で、音楽と古着、市場、食事がメインだ。
今回はあまり時間もなかったので一番欲しかったレコードを探すことにした。
ナイロビの町も中南米の町々と同じく、生地屋なら生地屋ばかりの通り、デザインの店の横にはデザインの店ばかりといように、同じジャンルの店が一つの通りにずらっと並んでいる。
なのでCD屋が一つでも見つかれば話は早いのだが、その一つがなかなか見つからない。町中で音楽自体があまりかかっておらず、「アフリカなのにあんまりノリノリじゃねぇな」と、当てもなくうろうろ町を歩く。
道行く人にCD屋を訪ねながら30分ほど歩いたころ、ふと耳に入ってきた音楽は小さなビルの一階の奥まった部屋から流れてきた。
言語もジャンルもよく分からなかったが、いい音だ。誘われるようにして看板も何もないそのビルに入っていくと、格子越しに三角巾を被った恰幅のよいお母さんが座っていて、その隣に店員かどうかはっきりしないおじさんがいた。中南米でもよく見かける、「ただそこにいる人」の類だと思われる。
3畳ほどのスペースにはカセットとCDがずらりと並んでいるが、レコードはなかった。
「お母さん、今かかってる曲はどれ?」
お母さんが少し恥ずかしそうに手渡してくれたCDのジャケットには、なんとそのお母さんがでかでかとのっているではいか。
そして、Photocopy music RecordとCDには書いてある。
・・・ここはコピー屋のレコード会社だった。名前があまりにストレートすぎて最初は理解できなかったが、売っている商品の3割程はこの小さな店のオリジナルのCDのようだ。
店員のお母さんは全くアーティストには見えなかったが、このいい曲のボーカルは明らかにこのお母さんだ。
ちぐはぐな会話の末に分かったことは、彼女が歌っているのはどうやら宗教音楽のよう。
これぞ現地に行かないと耳に入らない音だ。みつけたみつけた。
「お母さん、すごいね!自分でCD出しちゃうとか。これこそがアフリカの音楽だよ。ところでさ、ナイロビのアンダーグラウンドが見たいんだけど、どこに行ったらいいかな?」
おじさん「アンダーグラウンド?あはは。お前ここに来たとき、目の前のリバーロードっていう通りを渡ってきたろ?そこをまたいだらすべてがアンダーグラウンドなんだよ。」
私にとってそれはショックな一言だった。
先進国のアンダーグラウンド、それは社会に対するレベル(反抗)であり、既成概念との戦いだと思っている。しかし、ナイロビのアンダーグラウンドは目に見える「エリア」であり、都市周辺に存在する無数の「貧困」がナイロビのアンダーグラウンドそのものなのだ。生まれ落ちた瞬間からすべてがアンダーグラウンドなわけだ。
アフリカには生と死が現実にあると痛感した瞬間だった。
そして、自分の生き方のスタンスはただのファッションじゃないのかと恥ずかしくなってしまった。
極めつけは、私が初めて知ったナイロビのアンダーグラウンドは反抗という形ではなく、神を賛美するという表現方法だった。
アフリカには、私の触れたい「本当のこと」が溢れかえっている。
「アフリカの水を飲んだ者は、またその土地へ帰る。」
帯を締めなおして、またアフリカに世話になりに行こうと思う。