珍しく体調を崩した。
土曜にチャリンコで無茶苦茶に山道70㎞を漕いだ翌日に炎天下のシュノーケリングと釣りを楽しんだ勢いのまま月曜にはキッズ相手に本気でバスケをやって着の身着のまま雨の中をジョギングした後、31歳の体は水曜の夜に地に臥した。腰の右は軽い肉離れのようで熱を持ち、どの体制で寝転んでも違和感を抱えたままで冷やしても冷やしても夜に心地いい眠りは訪れそうになかった。雨に濡れたせいだ、だんだんと上がっていく熱は次第に意識を薄め、気だるさに思わず嗚咽が漏れる。久し振りに酒を飲む気力もなく葛根湯を飲む。ざまぁねぇ。いい気味だ。
嵐になり切らなかった低気圧がコスタリカ中を覆い、老人の小便のようにだらだらと尾を引いてしょうもない雨が3日も4日も降り続き地上を少しずつ冷やしている。日を浴びれない体がクローゼットの中のカビた服と同じ気持ちになっていて萎えてしまっている。
洗濯物が生乾きなのに加えて隣の大家が回していた洗濯機の排水溝から水が溢れ出し、俺の部屋の床半分を洗剤の泡と大家の1週間分の垢と汗が覆った。人工的な臭いが嫌で普段使わない床磨きの洗剤の塗りたくられたモップで水は吐き出され、やっとベッドに横になれた途端に天井から足元へと雨漏りは滴った。
ハイ、どうにでもしなはいやー。
こんな時は何やってもだめだ。
待つのだ。
途切れる眠りの割に目覚めは良かった。
天気は相変わらずだが体調も昨夜よりはまし。
途中だった村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドをよみ進める、が、なんでこんな時に考えすぎの文学文学を読まなければいけないのだ。躁を無い所からでも探して来てでも引っ張りだしてくるようなエンタメは何かないのか。
とか思いつつも、川のように流れる文章を漂っているとそのままずるずると作品の大きな渦に飲まれてしまう。村上春樹は天才だが、読み終わるたびに吐き気を覚えるのは俺だけなのか。クールでいい趣味らしい主人公、セックスする女、考え事、文章。
読み終えた夕方に一人でベッドの上で村上春樹を殺したくなった。
こりゃぁもう俺は全然だめだ。
待つだけだ。
学校へ行っていたころと何も変わらない。
ボケ―っとテレビをみて暇と戦っている。
雨が降ってる日はだめ。もう世界はめちゃめちゃのくちゃくちゃだ。
待つんだ。
今日やったことは何かといえば、なんとかなんとなく小説を一つ読み終えただけだった。
スペイン語も勉強する気になれなかったし、アルバムを一枚真面目に聴くこともなかった。一日中部屋にいて誰とも話さず、友達に気の利いた連絡もしなかったし、次の行先のことを考えるのもやめた。
何かはできたのかもしれないが、何もしなく、できなかった。
降ってる。
もう少し、待ってろ。
季節の変わり目は生き物にとって節目だ。
もうすぐ俺の住んでる近所の色は生の強い緑からサバイブの茶色へ変わる。
人間も同じで、たくさんが死んだり、被ったり、静まったり、寄り添ったり、壊したり、とにかく沢山かわる。
俺も変わる。毎日変わってるんだけど、爬虫類が脱皮する時みたいに変わる。
そうやってゆっくりとではあるが、なんとか自分の外の世界と合わさっていく。
だから今は、待っている。
もがきたい気持ちを抑えて、じっとして、待っている。
それが一番楽で、心地いい方法なのだと、本当は知っている。
まってろよー