けっこう前、中島らもさんの「ガダラの豚」を読んでアフリカのことが知りたくなった。
が、探してみると、アフリカに関する本は意外にピンと来るものが少ない。小難しい話か感情的な趣向のものが多い気がして、文化や生活、思考回路について本能的興味を持って書かれていそうなものがない気がした。
そんな中でも池澤夏樹さん編集の世界文学全集の一冊ならば間違いないであろうと思い、この一冊を読むことにした。
「アフリカの日々」は、第一次大戦以前にケニアの植民地へと移住したデンマーク人女性によるルポだ。
著者は土地の主としてそこに暮らしているが、自然やアフリカ人への眼差しは植民という言葉のイメージとは逆の純粋な好奇心と愛情に満ちている。こんな人の書くルポは真実味があるし、先進国の人間の世界から見たアフリカを見る方が、現地人の説明する現地の様子よりも私にはきっと判りやすいのだろう。
外国、特に途上国へ行くと、「なんで?」が連発してカルチャーショックが起こるわけだが、そのなんで?について一つ一つ丁寧に紐解いてくれるのが「アフリカの日々」の魅力だ。
描かれていることが正確ではないかもしれないし、全てが分かるわけでは決してないだろう。しかしそれが、違う土地で生きる人を理解するということなのだと読んでいくうちに思うようになった。例えば、
「ものごとについて、土地の人が費やす以上の時間を浪費してみせると、常に土地の人を感動させることが出来る。ただそれをやりぬくのが難しいだけだ」
とかの一文には単純に、あ、なるほど。とか思ってしまうのは私だけではないだろう。
何故なのかとう理由は言葉にできないが、ただ、そういうことなのだ。
私がアフリカへ行ったとき、機内で斜め前の席に座っていた大柄な黒人の男性がその長いフライト中にほぼ一度も微動だにしなかったのを私は感動と共に覚えている。ただ、なにもしないでそこにいるだけというのが、とてもかっこいい行為だと私には思えたからだ。
池澤さんも書いている。
「ああ、そうだったのか、と気づく。あるいは、そうだったよな、と思い返す。時間というのは本来、中に何かをぎっしり詰め込む箱ではなかった。腕時計で刻まれるものではなかった。そもそも数字ではなかった。われわれは時の流れのほとりにたっていたのであり、激流で溺れかけていたのではない。流れをみているのが「時の流れと共に生きてゆく」ということだった」
くわぁ、池澤さん、相変わらずかっこよすぎる後書き・・・。
こんな時間の流れの中に暮らす著者の気づきは多く、そこでの暮らしにある精神的豊かさを感じさせる。広大なスケールの大地とそこに住む動物たちの息遣いが全編をいつも静かに包み込んでいる。
アフリカでの暮らしはきっと大変なこともあったであろうが、そういったことはほぼ書かれていないというのも著者の気骨の精錬さを想わされてすがすがしい気持ちになる。
私のコスタリカのでも暮らしも半年をきった。
まだまだ、異国の地でたくさんの学びに出会えますように。