Culture

2020/10/23
鎮座ドープネスとのツイッター

 

 

 

 

 

ある夜、普段は見るだけのツイッターにふと投稿した。何気なしに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで投稿したのかはよくもう覚えていないが、眠りに落ちる前にふと誰かに何かを言いたくなったのかもしれない。

もちろん、本人にではなく。

 

翌朝、スマホの画面を開くと、本人がリツイートしていた。

え、それってちょっと、まずいのでは?

ダメ出しにも見える(というか完全にダメ出しか?)私のツイート、本人はどんな気分で読んだのだろう。

私は鎮座ドープネスが好きなのでとりあえず平謝りした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インスタのストーリーにこの件をアップするとみんなから色んなリアクションが帰ってきた。

一番多かったのは泣き笑い顔の絵文字で、これはきっと私の掌返しを笑っているのだろう。

2番目に多かったリアクションはもはやアンダーグラウンドではくくれない鎮座ドープネスのような有名人が私のツイートに反応したことへの驚きだった。「すごーい!」みたいな。

 

しかし、私としては一つ目のツイートもファンとしての愛ある感想であって、よく見てますよ、と表現したに過ぎなかった。決して今のライブじゃだめだよーと言っているわけではないのだ。ディスとは対照なラブのはずだった。

まさか本人が見るはずもない「つぶやき」だ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Z1NqtVTzXOg

 

鎮座氏は丁寧に私に返信してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファンとしての私の気持ちは伝わっていたのだ。 あーよかったよかった。

 

鎮座氏が一言「きんぱくかん」と拾った文面のフレーズは、もしかしたら本人にも自覚があったのかもしれない。私はアーティストとして人前に立ったことがないのでわからないが、イベントの裏方としてその舞台を用意する側には回ったことがある。アーティストがビックネームになればなるほどその待遇は豪華になり、いろいろな所に気遣いをしなければならない。そうしないと彼らはステージでいい気分で演奏しないし、もしかしたらステージに立ってくれないかもしれない。「きんぱくかん」をつくるのは周りの役目でもある。

よくよく考えれば、アーティストといえど大勢の前にポツンと立たされて一挙手一投足を見られる人間というちっぽけな存在なのだ。聴衆に支えられているとことを感じられなければ昇華してくる芸術なんてその場に生まれてこないのではないだろうか。

だから鎮座氏もヤジを飛ばしてほしいのだ。存在として呼応したいのだ。

 

昨今のラップブームや、見る方には気軽なライブ配信によって幅広く人目にさらされるアーティストの畜生な気持ちもよく分かる。それでも緊張感を保って毎回いいライブをしろという私は厳しいのかもしれない。

時代背景や安いオーディエンスに歯がゆさを感じてしまう。本当にいいと思えるものを見たい気持ちはあるのだろうか。鎮座氏のラップが職人の技だと理解しているリスナーはどれだけいるだろか。アーティストはスポイルされてはいないのだろうか・・・。

 

言うとですね、コロナで大変ですけどね、しっかりいい形で自分の応援するアーティスト支えましょう、ということなんです、はい、と。

 

はい、ありがとうございました!

 

 

 

Contact

制作に関するお問い合わせ