私が聞いている音楽のほとんどは友人の受け売りだ。(大体全部弊社関口から)
レコ屋に行ってもジャケットで内容の分かるものなんてほとんどないし、かろうじてレーベルとか雰囲気で音を想像して視聴するくらいしかできない。歴史的価値とか市場価値とかも全然分かっていないし、その音が好きなら買うという大体な動機で貧しいながらも音楽を買っている。別にそれでいい。
しかし、都市部で音楽に時間とお金を費やす人々と久しぶりに会うと彼らはやはり羨ましくなるような美しい音を常に聞いていて、やっぱすげー、いいな~、という気持ちになる。
毎年年末は、今年のベストリリース~!!!みたいな企画がいろいろあって参考にさせてもらっている。例えばLosApsonのベスト50なんかはYouTube配信の説明付きでよくよく観覧した。がしかし、改めてその音源を聞いてもはっきりかっこいいという感想がすぐには浮かんでこないものもある。
べつにその音が自分の趣味ではないと断言してしまってもいいのだが、やはり聞く人からすると共通していいものはいいという評価がだいたい下されている。それは耳が肥えている証拠だ。なので、ちょっと悔しくなって素通りしてしまうことが出来ずに何回か聞きなおしてみるが、やっぱりしっくりこない。
「一体これのどこがいいんだろう・・・」
最近だとこの1枚とかはけっこう如実だった気がする。
私が好きなStones Throw recordからの新譜だ。
「ふぅーん、そうかぁ。なかなか新しいのでこんな音ないし、かっこいいけどなぁ、買うかと言われるとなぁ」みたいな具合なのだ。
ロスアプもDJ SHHHHも関口も、坂本慎太郎さんもレコメンの1枚、なのだが・・・。
個々人のフェチや趣味趣向はもちろんあるだろう。それによって聞く音楽を決めればいい。
けれどもやはり、人類共通の叡智というか、確かに「良い」と認められる作品はいつの時代にも共通してある。なので、それが分からないというのはセンスがないとも言えるのかも。
広大な音楽という領域を本気で勉強する、知るという行為は中毒的だ。
レコードやCDで埋まっている部屋を見るとそれは病的と言ってもいい。
日々新しい音楽を耳に入れて新しい世界観を探求する。それは樹海の中で特定の種類の木や花や苔を探して巡り合うような感覚にちかい。そして、それによって自分がいろんな形でアップデートされるんだろう。
やっぱり出来るだけ肥えた耳でいい音が聞きたいなぁとつくづく思う。
何故こんなことを話題にしているかというと、私も10年ぶりにレコードで音楽を聞いているからだ。昔のもの全部に針を落とす作業をしている。
そうすると気が付くのは、以前は興味のなかった曲に耳が留まるようになったことだ。
その人の年齢や経験によって音楽は印象を変えてまた人生に登場する。
そういうアップデートのされ方に気が付くと、やはり音楽はどこまでも深い森なんだなぁと感嘆してしまう今日この頃であった。