Culture

2021/05/13
新生活のあれこれ・仕事編

 

サラリーマンになってあっという間に1ヶ月が経った。

生活環境ががらっと変わったことや半年ぶりに仕事をするということもあってあたふたと毎日は過ぎ去っていく。

もう5月の新緑がまぶしい。

 

 

 

私の会社の仕事は主に農業で、それを軸に村中のいろいろな仕事をしている。

過疎につれて手の付けられなくなった耕作放棄地を請け負ったり、鹿を解体したり、キャンプ場を経営したり、シェフを招いたり、キノコの栽培をしたり、加工品をつくったり、林業の応援に行ったり、道の駅で出店したりする。

本当にいろいろやる。

 

新人の私はどのように経営が成り立っているのか全く知らない。

お金の流れが分かっていなくても務まるサラリーマンもありなのかと思って少し安堵している。

そしてさらに分からないこともあって、どこまでが仕事でどこまでがそうでないのかというラインもかなり曖昧だ。

昨日は突如、猟銃を背に山の尾根を歩きながら山菜を探した。

 

 

 

 

そんな感じなので、村生まれの上司のリズムに私は最初戸惑った。

以前のように時給で雇われていた仕事では時間厳守が当たり前で朝一から全開でばきばきと体を動かすのが常だったからだ。

なので、上司以外の村の人と一緒に働くときもギアがかみ合わないことがしばしばある。

 

子供や奥さんがいる2人の上司は家庭にいることを本業と呼び、会社で働いていることを副業と捉えている。子供が熱を出したりすると、「本業行ってきます」と言って事務所から家に帰るのだ。これは家のことが会社の仕事以上にしんどいということを意味している。(しかしこれは、本当の大切なことを本業と呼んでいるダブルミーニングだと勝手に私は理解している)。

 

そして本業は家庭以外にもある。

それは村の政治だったり、漁協だったり、猟友会だったり、新聞配達だったり、山や川や畑のガイドだったり、消防だったり、なんだりかんだりする。

マルチワーカーという言葉が流行る前から彼らはそれをずっとやってきている。

季節や天気を相手にする農業を根幹に置きながら、とてもフレックスに村中の仕事を回している。

何かあれば家庭のことを優先しても全くかまわないという外国的常識もあり、ゆるやかながらその時の一番の「旬」をとらえるように仕事をするというのが私から見たこの会社の働き方だ。

暦も関係なく自由に休みを取ることもできる。

 

 

 

 

今まで正社員というといろんなものにがんじがらめにされるような恐怖感をいつも感じていた。それが嫌で定職に見向きもしなかったのかもしれない。

でも、今回の職場で働くことによってだんだんとその呪縛から解放されているような気がする。

すると、仕事というもの自体についての考え方もだんだんと変化するかもしれない。

嫌いだったお金や組織、制度なんかについてももっと寛容になれるかもしれない。

それはきっと今までもよりも生きやすい生き方だ。

できればムカついたり嫌悪するものは少ない方がいい。

付き合っていかなければならないなら、自分が変わろうとすることがまずは始まりだ。

 

仕事をしている生活でも毎日は新しく感じることが出来る。

山は一雨ごとにみずみずしい青を深めている。

私もせっせと働こうと思う。

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