Culture

2023/06/22
大阪の居酒屋で独酔・散文

数日の休暇を利用して大阪へ遊びに行くことにした。

特にこれといったお目当てもなく、気楽に新幹線に乗車した。

 

まぁ多分、適当に酒を飲んで終わるのだろうなと想像していた。

大阪は東京に比べて古い居酒屋がたくさん残っている。そういう店は明るい時間から開いているところが多い。

昼飯を食べようかという時間帯に駅前や商店街でポツンと暖簾がかかっているのを目にするのだ。

酒を飲む習慣が生活の風景によく馴染んでいる、私の好きな光景だ。

チェーンや流行りの映えるお店はさておいて、大阪の空気に溶け込もうと早速古い暖簾を潜ることにした。

 

 

 

以前からよく世話になっていた難波の「正宗屋」は健在だった。

11時半に女将さんが暖簾を掲げるのを見届けて中に入る。私の前に老夫婦が1組並んでいた。

大阪はアサヒが一般的だ。瓶ビールと、蟹味噌とたまごでつくる「カステラ」というつまみを頼んでカウンターに座る。

このカステラは他の店では目にしたことがない。

ビールが卓に運ばれるとすぐに一人、また一人と客が入って来る。

昨夜も飲みに来ていたのか、「ども、12時間ぶりで」と一言交わしている。

 

グラスを口に運ぶと我に帰った。

大阪に来たのだという実感が湧いてきて嬉しくなる。

まだ人の少ない店内に会話は少なく、BGMもない。私はただカウンターに面と向かってぼぉっとしているだけだ。

時たま入る注文の声に応える店員さんは威勢がいい。でも無駄なことはあまり喋らない。しかし、我々は今確かに会話をしている。会話と呼ばないなら、それは何かしらのコミュニケーションだ。独りでいるのだが、孤立でなく確かに自分の存在をここの店内に感じる。

私は一人だが、居酒屋で時間と場所の「会話」を買っている。

時計が止まったかのような空気が世界との隔離を感じさせる。

贅沢な時間だ。

 

きずしとタコの酢の物を注文する。

 

時にある人が、「眠っている時間だけが本当の自分独りと繋がることの出来る時間だ」と言っていた。この店のカウンターはその状態にかなり近い。これがやかましかったりケバケバしい場所だとそれはいけない。そんな場所では静かに眠ることができない。がしかし、公園のベンチではそれは成立しない。安心して眠るには布団が必要だからだ。

カフェでも成立しない。一人で明後日の方向を向いているのは人目をひく。誰かしらに混じって眠る必要がある。

やはり、アルコールによる弛緩が必須だ。

酔うことで起こる心身の解放や虚脱する姿をある程度晒すことも許されている。

ただし独り客として。

私にとってカウンターの意味はそんなところで、懐の深い大阪はとくに帰ってきたくなる場所になっている。

とても緩むのだ。

 

カウンター越しの山盛りのおでんと今日のメニューが書かれたホワイトボードがずっとぼやけて視界に入っている。

 

タケノコとこんにゃくのおでんを注文する。

 

昼間からあまり飲みすぎてはいけないと自分に言い聞かせ、瓶三本を飲んで店を出た。

 

「ありがとぉ、おおきに」と、背中から声がかかった。

 

 

 

 

 

翌日は京橋へ行く。

ここの駅前はうさん臭い。

以前に入ってみたかったが満席だった京屋本店へいく。

 

店内はコの字のカウンターとテーブル卓になっている。

カウンターは20人くらいが座れるようになっていて厨房が丸見えになっている。

人によっては不潔に見えるかもしれないが、私には許容範囲内の店内全体の雰囲気は絶妙だ。それを一番物語っているのはカウンターに陣取る常連であろう中年男性達に違いなかった。

本を読む者、厨房のおでんや鉄板をじっと眺める者、焼き魚をきれいにたべようと努めるものの一向に進まない様子の者、じっと宙の一点を凝視する者、たまに入り混じる仕事中のサラリーマンなどなど、どの方も一癖ある具合でコの字に向き合っている。

彼らにまず共通しているのは、飲むペースが異様に遅い。

私は早いと言われる方なので余計にそう感じるのかもしれないが、私の時計の止まり方の10倍速くらいスローに彼らの現実は流れているようだった。目を開けて寝ているのか。とても羨ましい。

私も先輩達に追いつこうと思いついついグラスを口に運んでしまい、あっという間に会計が5000円にもなってしまったようで恥ずかしくなりそそくさと店を出た。なにを焦って飲んだのかわからないが、私はただまだ青いのだと思った。

 

この後も数軒一人になれる居酒屋に入る。

また大阪に飲みにこようと思う。

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