新宿のBridgeというクラブに弊社関口とAdrian Sherwoodを見に行った。
まだ早い時間のフロアに見覚えある顔が目に留まった。
ハーポ部長だ。
彼こそが表題のクラウドファンディングの発起人である。
内容を一言で説明すると、ペルーでアヤワスカを飲んで脱薬したいので100万円集めたい、というものだった。私は一万円払って彼をサポートした。リターンにはその後の体験記と、彼の属していたNative soonという団体のTシャツが約束されていた。
彼も私の顔を覚えていた。
「やっとリターンの本が書けたんです」
「あぁ、そうなんですか。よかったです」
「今度東北の橋の下音楽祭行こうと思ってて、あ、今やってるDJはどなたか分かりますか?」
「あぁ、ちょっとわかんないです」
とかいう東京のクラブでありがちなサラッとした挨拶だけでその場は終わった。
なので、6年経ったクラウドファンディングのリターンである「本が書けた」という言葉にも信憑性を感じていなかった。
しかし本当に、本は書けていた。
アヤワスカの文章は気になれば読むようにしている。
そのどれもが体験記を中心に自身の持つ悩みや病気のこと、現地へ行くまでの経緯などが記されている。
しかし幸か不幸か、ハーポ部長の手記は日の目を見るまでに6年の歳月を経ていた。なぜそんなに時間がかかったかは割愛するが、その要因が返ってハーポ部長のアヤワス体験をこの本に色濃く反映させる結果となっている。この体験記は「アヤワスカの体験記」ではなく、「アヤワスカを飲んで自分の人生がどうなっていったかの体験記」となっているのだ。
なので、面白い。
私がジャングルから出てきた時、その後日本に戻ってからも、ある種の精神的不調をずっと引きずっていた。
手術をしたり、長い間海外にいて日本社会に適応できなかったことも原因かもしれないが、アヤワスかを飲んだ人はその後の生活に何らかの支障をきたしてしていることを否定することができないと私は思う。
そしてハーポ部長もそのヘビーな当事者となっていた。
6年の間に、クラウドファンディングの本のために書き溜めたデータが消え、鬱であって、宗教に救われたかと思うと、ユタの助言に衝撃を受け、隣人の死があった。
厄年なのかもしれないし、そういう星の下に産まれたのかもしれない。
しかし、私には彼の苦痛がわかる。
それはアヤワスカという世界を知った者の宿命でもある。
アヤワスかの世界観を正しい、正しくない、ある、ない、と論評するのは自由だが、実際に体験した者の衝撃というのは死ぬまで心身に残る強烈なインパクトがある。
これは自分が母親の体内から出てきた瞬間と同じもので、世界が産まれるという表現が私の中で一番近い。これは神秘で、社会や常識などのこの世を後回しにするインパクトがある。
そして、その世界を在るものとして無意識に背負って生きていく。
大半の人には理解できない感覚を背負うことになる。
折り合いがつけられる性格の人はそう苦労することはないかもしれないが、アヤワスカに浸った時間が長かったり、セレモニーの印象が強すぎた時にはその人はその世界にこの世の暮らしを侵食されてしまう。
ハーポ部長の6年はそういう期間だったのではないだろうか。
結果、彼はクラウドファンディングの目標だった脱薬に成功した。
しかし、幸か不幸かその手段がアヤワスカであったので、その後の地獄のような日々も経験することになった。その十字架はまだ背負っている状態で、それは私も同様だと思う(重いっすか?)。
しかし、それは死ぬまでの学びの途上であって、死んでもそれが終わるのか分からないと考えると、アヤワスカなどは通過点の一点でしかない。そこで全ての真理は完結しない。
だからこそ、彼も私も死なずに生きていく意味がある。
久しぶりの上質なアヤワスカノンフィクションに出会い、ジャングルの興奮が蘇ってしまった・・・。
昨今アヤワスカは注目の度を増すばかりだ。しかし、その危うさについて語られることはまだ少ない。ハーポ部長は自分の経験を晒すことでアヤワスカを単純に賞賛することをしていない。ツーリズム化されて荒らされたペルーの小さな村や、セレモニーで障害を負ってしまったツーリストのケースも当事者インタビュー付きで文中に掲載されている。時間を経て冷静に書かれたこの本は、当事者の情熱を秘めつつも読み応えある仕上がりになっている。
そこにはやはり、彼に降りた精霊が宿っているようにも私には感じられたのであった。