Culture

2018/05/09
ダサイSNS

Facebookを休会して1ヶ月経った。

Spotifyも、ニール・ヤングに説教されたので先週休会した。

そして今さっき、ベッドの上で本を読みながらふと、Instagramも休会することにした。

 

Facebookはたしか、5年前も1年ほど休会したことがある。

あの時はペルーでアヤワスカを経験した直後の発作みたいなもので、ハイパースピリチュアル思考の末に行者さながらの孤高を求めていたのであった。携帯も持っていなかったので、日本では完全にズレていた。その後3年ぶりに仕事を始めるとき「携帯ないとだめだよ」と言われてしまったので、そこからプリペイド携帯を買い、後にスマホの方がコスパが良いということに気が付き、しぶしぶ人生初のスマホを買ったのが27歳のときだった。

高校に入った時も部活の必要に迫られていやいや携帯を買ったのだ。

それもクラスで一番最後だった。

そっか、昔からか。

 

 

 

 

このnoteの記事を紹介したり、展示会やイベントの告知をするのにSNSは大助かりだった。Facebookを前回の休会後、再び始めた理由はそれだった。

タダで連絡も簡単、何より知り合いとすぐに情報をシェアしやすかった。

ただ、しばらく続けてみると、だんだんと海岸が波に侵食される様なゆったりとしたスピードで進行している自分の外面の形成具合の気色悪さに、時に吐き気をもよおすようになった。雪だるま式に増えた友達も飽和状態で、入って来る情報はほぼジャンクだった。

人生において、友達は多い方がいいというのは間違いだということも学んだ。(人間の好き嫌いの話をしているのではない)

 

SNSを上手に使って名を売った知り合いもいた。

私の記事や写真たちも、誰かの目に留まってなにか面白いことが起きればいいなといつも思っていた。しかし、画面を覗き込む時間と比例して、作品の純度は気が付かないうちに濁っていたのかもしれない。誰かの興味をそそることはあっても、現実の形としてたくさんの面白いことは起こらなかった。それは自分の中から出て来るものに力がこもっていないからだ。

SNSのフィルターは何百人、何千人の顔を思い浮かべながら映し出される自分の鏡だ。ありきたりだが、そこにはもう本当の自分はいない。そんなの全然面白くなく、極めて噓くさく、ダサかった。

 

しばらく現実で沢山息を吸って、またデジタルの世界には戻ってこようと思う。

その時は、今とは違った呼吸をして現実を生きている自分になっていればいいなと本気で願う。

正気を取り戻すその日が、意外と早く来るといいのだけれど。

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