Culture

2018/11/19
鮭が川へ帰る理由

2年間のコスタリカ生活が終わった10日後、北海道の東、標津町にあるいくら工場へと3週間働きに行った。4年ぶり、5度目となる通称『シャケバイ』だ。(仕事の様子は以前のブログをご参照ください)

シャケバイに何度も通った理由は単純で、旅の資金を住み込み、飯付き、短期間でサクッと稼げるからだった。

しかし、今度の出戻りはいつもと一味違っていた。

 

私の20代の仕事のほとんどは出稼ぎ労働(季節労働)と言われるもので、簡単に言えば人手の少ない過疎地に肉体労働をしに行くのが常であって、どこに行っても底辺で踏ん張る仕事、最近では外国人労働者が担う『単純作業』のそれと同じことが私の仕事だった。

簡単に言えばその『単純作業』の仕事が恋しくなったのだ。

それがシャケバイに戻って来た理由だ。

 

JICAの青年海外協力隊隊員として国民からの税金数千万円を受けて2年間緑のパスポートを持ちコスタリカに派遣された私の仕事の大半は、椅子に座ってぼーっとしていた。マジで。がっくし。ぼけー。ぼけー。ほげほげー。それは私のせいなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。しかし、私だけがこのように感じているのではなく他のボランティアの人達もけっこうな人数がそう感じている。あーあ。

 

 

そう、くだらない名前だけの『仕事』に居座っていたもっとくだらない自分に両腕が初日から腱鞘炎になったり筋をひねったり肩が上がらなかったり腰をいわせたり寒さに息を白くしたり全身汗だくになったり生臭くなったり仕事の残業にイラついたり幻滅したり臓物にまみれたり塩素で手が荒れたりだったりだったりだったりの仕事をさせたかった。

別に自給がいくらでも構わないし、世間で誰がどう思ったりどういう階級にこの仕事を位置づけているのかもお好きにすればいい。

ただ、ここでは『仕事』をしている肉体的実感が心地よくて、一日の終わりには今日の充足と明日もやってくる落胆という両方の安堵を感じて泥のように眠ることが出来た。

さらにその仕事の目的は食べ物をつくることであって、それ自体が人の喜びなのだという実感が私にはあった。

働くことへの罪悪感や後ろめたさがなかった。

 

 

ある友人がトヨタでは3カ月働いたけど一人も友達が出来なかったと言ったのは印象的だ。

自動車会社での季節工とシャケバイが同じようで明らかに違うのは、仕事に自然がもたらすタイミングや天気が大きく関係するところだ。そしてそれらは地元の人の関わりや町の景色に波のように影響していく。その波があれば旅人は仕事という宿り木に泊まることが出来るし、そこでの再開や新しい出会いに人の繋がりという生を感じる機会を得ることができる。

自分の暮らしや、言ってしまえば命が自然と直結していることをダイレクトに体感できるのが季節労働の醍醐味なのだ。

その世界を知っている奴は何が面白いかを本能的に知っているし、波がいつ来るのかを動物みたいに自然に嗅ぎ分ける。

そんなところのいいシーズンにはおもろい奴がちらほらいて、そいつらとの暮らしはおもろいのだ。

だから自然から遠い仕事は私はちょっと・・・。

 

金が欲しけりゃ町に行けや。

愛と夢が欲しけりゃ田舎へお戻り。

 

 

ここ数年減る一方の鮭の漁獲量と同じく地元の女工さんの数は4分の一になった。

季節労働者の数自体も減っていて、近所の工場にはアジアからの出稼ぎの人をよく見かける。

古いの仲間の多くは家庭や仕事を決めてゆっくりと根を下ろし始めている。

ゆっくりとみんながいろいろと変わっていて、4年間で地球がどれくらい回ったのかを実感している。

 

 

7キロの筋子が入った籠をタコ糸の張られた揉み台の上に広げ、紅葉の一コマのように鮮やかなイクラという命の一粒一粒を汗だくになって揉んでいる。

2時間が過ぎるころにはものを考える余裕はなく、疲労感と蒸気する汗に包まれて朦朧としている頭と体。

4年ぶり、自分の知っている秋に帰ってきたことを実感している。

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